ロマンティック・アイロニーとは無縁なクララ・シューマンの19世紀

クララ・シューマンの晩年の弟子 Adelina de Rala (1871-1961) の演奏やスピーチをYouTubeで発見した。

(1951年生まれのシルヴァン・ギニヤールのお祖母さんはクララ・シューマンに教わったらしい、と、前に大井浩明に言ったら、「それ年代が合わんやろ」と信じてもらえなかったけれど、1950年生まれの夏目房之介は1867年生まれの漱石の孫なのだし、アデリーナ・デ・ララの孫が1950年代生まれ、というのはあり得ますよね。)

評論家としても作曲家としても、20代のロベルト・シューマンはアイロニーの塊みたいな人なわけだが、その作品を傍らで黙々と咀嚼して、全然別のピアノ演奏芸術の文脈に組み入れて演奏し、弟子たちに教えたクララ・シューマンのような「婦人ピアニスト」の系譜は、「音楽の国」の現役住人であるとされる東アジアや南米(や北欧東欧)出身の女性音楽家たちとも、20世紀中葉のスター/アイドルだったユダヤ系女性鍵盤奏者たち(マイラ・ヘスとかランドフスカとか)とも違う形で、今も脈々と続いているのではないかと思われる。

(弟子がほとんどプロのピアニストにはならなかったと言われるクララ・シューマンとつながっているらしいギニヤール氏が、こちらもピアノの流派を作らなかったショパンを研究して、近世邦楽のような形での「プロフェッショナル」を確立できなかった日本の琵琶の伝承者になったのは、味わい深いことだと思うのです。)

はたして近代芸術にとってアイロニーとは何だったのか、と考えさせられますね。

フランス革命は、いちおう、啓蒙主義が政治を動かした成功事例で、理性の勝利と見えた面があるだろうから、ナポレオンの占領政策だったとはいえ、ヘーゲルやベートーヴェンの世代は「西欧の理性の勝利」にドイツが連なっていると思えたのだろうけれど、1814年の王政復古のあと、7月革命でブルジョワの活動の自由度が高まったパリと違って、メッテルニヒのお膝元のドイツ・オーストリアは、「3月以前期」と呼ばれるように、1848年まで政治的・経済的に停滞するわけですね。

だから、1820年代のシューベルトやウェーバーと、1830/40年代のメンデルスゾーンやシューマンは、音楽様式の点では顕著な違いがあって、しかもこの時期のパリでは、ベルリオーズやリストやショパンのような「ドイツ派」の音楽家がヘゲモニーを握るわけだけれど、本国ドイツのアイロニカルなロマン主義は、クール・ジャパン(クール・ドイツ)に浮かれつつ停滞のなかで何かを拗らせる「失われた20年」のようなものかもしれない。

青きドナウの乱痴気―ウィーン1848年 (平凡社ライブラリー)

青きドナウの乱痴気―ウィーン1848年 (平凡社ライブラリー)

ポストモダンは是か非か、みたいなことを色々な世代が入り乱れて議論する場があるみたいなのだけれど、それは、フランス革命の残り香を拗らせた1830/40年代のドイツのようなものではないのだろうか。