ワーグナーに先を越されるシューマン

Clara Wieck described the performance in a letter to her later husband Robert Schumann dated 17 December 1832:

"Father [ Friedrich Wieck ] went to the Euterpe hall on Saturday. Listen! Herr Wagner has got ahead of you; a symphony of his was performed, which is said to be as like as two peas to Beethoven's Symphony in A major."[5]

The second public performance was at the Leipzig Gewandhaus on 10 January 1833, as part of the annual subscription concerts.[4] The work received another performance at Würzburg on 27 August 1833.[6]

Symphony in C major (Wagner) - Wikipedia

この話は、学生時代にLaaberの評伝で読んで知っていたけれど、ピアノの師匠のご令嬢(まだ恋人ではなかった14歳の少女ピアニスト)から「ワーグナーさんに先を越されましたね」と言われて、23歳のシューマンはどう思ったことか。ワーグナーはシューマンより3歳若い20歳で、シューマンより上手にオーケストラを扱うことができた。ワーグナーのハ長調交響曲がベートーヴェンのなかでも7番を連想させた、というのも興味深い。(「第九」は異形の例外で、第七、第八こそが、そのあとに続くべき巨匠の「最後の言葉」と思われていたのだと思う。シューベルトの「さすらいのリズム」へのこだわりも、そうだろう。)

シューマンがワーグナーと同じ土俵で勝負するのではなく、まずはピアノ曲で成果をあげて、この少女を振り向かせてやるぞ、と考えるところは、ベルリオーズとハリエット・スミッソンの関係に似ている。(既にリストのピアノ編曲を通じて、シューマンは幻想交響曲を知っていた。)

1830年代の市民・市井の音楽は、宮廷楽長たちの職人的な世界とは違って、大卒で筆が立つインテリであっても、音楽をやるときにはご婦人がたの目にとまるようなことをやらねばならなかった、ということでもあろうかと思う。ロマン派の音楽は、将来性があると当人たちは信じて疑わなかっただろうけれど、あくまでサブカルチャーだったわけだ。

ワーグナーのシンフォニーは、もっと演奏されていいんじゃないですかね。