ロベルト・シューマン・パブリッシング:19世紀出版バブル時代の「外国」「読書」「批評」「哲学」

再び時間がないので各々簡潔に。

(1) 贅沢な留学

細かいことはともかく、幕末の幕府ご一行の洋行や長州の若手の隠密行動から先ずっと、公費であれ私費であれ、「生存のため」でない留学、単なる蕩尽である自分への投資として留学がなされた例は、それほど多くないのではなかろうか。

(2) ロベルト・シューマン・パブリッシングの混乱

傍らでのクララ・ヴィークの泰然自若ぶりと対比すると、20代のシューマンは右往左往七転八倒しており、「影響の不安」を言いたくなるのもわからないことではないが、あれは、ショパンやベルリオーズ/リストをいち早く発見したように、新聞雑誌と楽譜の両面での19世紀の出版バブルの初期に情報の爆発が起きて、書店主の息子でライプチヒ在住の大卒インテリがその爆心地でもみくちゃになったのだろうと思う。

出版バブルの渦中に飛び込む人がシューマンを引き合いにだした好例が、『音楽と音楽家』の翻訳をひっさげて内務省の役人から音楽評論家になった吉田秀和だろう。

(そして今なら、アルテス・パブリッシングのような会社を興すか、そこの看板ライターになるだろうなあ、というのがこの記事のタイトルのもじりの由来なのは言うまでもない。)

(3) 音楽における暗唱と黙読

鍵盤音楽は、「読書」というより「暗唱」の文化ではないかと前に書いたが、「暗唱」という概念を立ててはじめて、19世紀以後の主にドイツの音楽関係者が口にする「読む音楽」(楽譜を読むほうが、音を聴くよりよくわかる音楽)の位置がはっきりする。

シューマンは、おそらくバッハあたりを「楽譜で」知ったせいで、「読む音楽」という実は新しく、決して伝統的ではない発想に傾斜したのではなかろうか。

「読む音楽」という発想は、19世紀の出版バブルによって創られた可能性がある、ということだ。

(4) ヘーゲルと黙読

そしてそうなると、ふと気になったのだが、ヘーゲルが文学を語るとき、彼は「暗唱」や「黙読」についてどう考えていたのだろうか?

(世界が動いていようがいまいが、大学の授業は毎週1回のペースで淡々と「コマ」を進める。)