市民の面前で芸術を華麗に暗唱すると嫌われる

宮廷の楽人たちは貴族の御前で詩や音楽を暗唱した。

一方、19世紀の自由人芸術家は、市民の中で自らも市民として詩や音楽を黙読する。その態度を可能にしたのが出版文化の整備・発展なのでしょう。

現代の情報社会が直接の対面ではなくスマホの凝視を強いるように、そして草の根広報のいわゆる攻めの姿勢がこの傾向を加速してオーディエンスを囲い込むように、19世紀の新興市民たちは、目の前の芸術と芸術家に対面するのではなく、書物の紙の表面の文字列を凝視するのが教養だと信じた。

そして市民の面前で華麗に芸術を暗唱するヴィルトゥオーソ達は、次第に煩わしい存在だと思われるようになる。

大まかなスケッチとしてはこんな感じか。

教養市民の芸術論の延長で情報社会のアートを語る東大系にとって劇場という装置が鬼門になったり、SNSで大阪芸人バッシングが続くのは、おおむねこの図式で説明できそうだ。