バレエの歴史の断絶に耐えること

こういう風に表にすると、パリのバレエがルイ14世から連綿と続いているとは言えないことがわかる。(今回は、まだ18世紀のバレエが抜けている状態だが。)

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ポワントで立つ技法をタリオーニ父子が1831年のオペラ「悪魔ロベール」と1832年の「ラ・シルフィード」で広めたのは有名だが、振付の変遷を見ていると、アラベスクやアティチュードのような定番のポーズを体系的に用いる振付はプティパ以後なのではないかと思えてならない。

パリ・オペラ座のロマンティック・バレエは、キャノナイズされたプティパ以後のクラシック・バレエとは随分様子が違ったのではないだろうか。

ただしこの表は、断絶と「伝統の発明」をなじるのではなく、そうした要因を括弧にくくった先で、何が身体というメデイアを介して後世に伝わったのか、そこを考える準備のつもりです。

普遍を志向するリベラルアーツにとって、伝承の途絶は物事の終わり、行止りかもしれないが、一般に、歴史研究は事態が収束したところから始まる。

人間は必ず死ぬ。でも何かを残す。有限の領域に踏みとどまるヒューマニティーズにとって、伝承の途絶は、終わりではなく始まりだと思うのです。

シニカルな敗北主義とも頑固な信仰信念イデオロギーズとも違う仕方で終焉と付き合うこと。政治的ではないことの政治性は、その地点においてこそ成立するんじゃないですかね。