洋装の囲碁、和装の将棋

競技とアートの境界領域はスター主義を発生させやすい性質があるようで、フィギュアスケートは近年の大成功を収めた鉱脈なのだろうと思う。で、これはまだ国別対抗戦(いわゆる「グローバル」)なのでニッポンのローカルな盛り上がりへの一定の歯止めがありうるけれど、将棋は、なぜか誰も指摘しないけれど、チェスや囲碁と違って日本国内でしか行われていないゲームですよね。

(囲碁の国内公式戦は畳に座るが、数年前に、NHKの番組が国際棋戦と同じく椅子に座る形に変わった。そして囲碁の棋士はたいてい洋装だ。ところが将棋の対局はNHKも畳に正座だし、将棋の棋士は若い人でもたいてい羽織袴を身にまとっている。あれは、逆に異様だし、ここ数年の「作られた伝統」だよね。)

だから、将棋の天才少年と思しき人材の登場は、たまたまAIが囲碁のトップ棋士を打ち負かした直後の話題ではあっても、随分、現象の文脈が違うと思うのだけれど、このあたりは、誰かがちゃんと整理しているのだろうか。

自分たちに都合がいいように文脈や切り口を絞り込んだうえで、「ニッポンにはこんなに素晴らしい人材がいます!世界へ羽ばたけ、次世代ニッポン!!」みたいに盛り上げようとするときに、将棋は、フィギュアよりも相撲よりも、はるかにやりやすいお手軽ジャンルなのではないか。

そしてそのようなお手軽ジャンルで、スターの低年齢化(=青田買い)が限界まで進んでしまっているように見えるわけだが、いいのだろうか?

(小学生名人からそのままプロ棋士になって昨年のNHK杯優勝で国内公式タイトルをすべて獲得してしまった囲碁の井山裕太は、喧嘩上等な乱戦好みの派手な気風で国内の囲碁を変えてしまった印象があり、それは最近の大陸の囲碁のスタイルとも共通点がありそうに見えるけれど、でも、国際棋戦では勝てないし、先日はAIにも歯が立たなかった。

井山裕太を受け入れるのが、和装の将棋とは随分違うところへ来た現在の「洋装の囲碁」なのだと思う。彼は将棋少年への周囲の盛り上がりをどういう風に見ているのだろうか?)