バレエの考古学

マリインスキー劇場がプティパ時代のバレエをステパノフ方式で記録していた、というのは重大なことのようですね。

少し調べただけでも、解読結果がまとまってくれば、従来ざっくり「プティパ版」と呼ばれていた振付のどこがプティパ時代のもので、どこがプティパ以後の変化なのか色分けできそうだし、バレエの振付や技法の歴史記述を精密にするだけでなく、ロマンティック・バレエの「プティパ版」以前の姿を推定したり、チャイコフスキーとプティパやマリインスキー劇場の関係を論じたりすることにも役立ちそうですね。

「白鳥の湖」再演時のプティパ担当部分や「眠れる森の美女」のノーテーションの復元例を見ていると、プティパの振付は現行の「プティパ版」より演劇的なマイムが多そうだし、音楽(チャイコフスキーの)に寄り添う振付というより、踊り手のアクロバティックな技術を文脈への配慮をほとんどせずに挿入する発想が結構残っていたように見える。

「白鳥の湖」で言うと、むしろ、オデットと白鳥たちの場面の有名な振付とか、プティパの次の世代のイワノフのほうが脱因習的なアイデアを試していたようですね。「白鳥の湖」は、ロシアのクラシック・バレエの典型というより、モスクワで制作された「最後のロマンティック・バレエ」が、イワノフの手で、ペテルブルクの「最初のポスト・プティパ様式」に変換されたように思えます。

そして、プティパは「振付ありき」で作曲家に音楽を発注した最後の世代、イワノフは、(チャイコフスキーの)音楽に導かれて振付や細部を洗練させる姿勢を打ち出した最初の世代(バレエ・リュスを準備するような)と見た方がいいのかもしれませんね。その先に、20世紀の「クラシック・バレエ」のスターたちが出てくるわけだ。

(20世紀のダンサーが古典の解釈でスターになる経緯は、クラシック音楽におけるスター演奏家たちの登場経緯とちょっと似ている。)

どこかの大学院には、すでにステパノフ記譜法に目を付けて色々準備しているバレエ研究家がいそうですね。そういう人が世に出てくるのは、たぶん、それほど先のことではないんじゃないか。