バレエという「20世紀の」舞踊

研究では、新しく得た知識を寝かせてから出力すべきなのかもしれないが、日々の授業では、取ってだしじゃないと追いつかないことがある。

バレエ・リュスを「ブーメラン」(パリで撒かれた種がロシアで花開いて「バレエ・リュス」として西ヨーロッパに戻って来た)というだけでは不十分で、現在の国際化してスタイルが標準化したバレエは、バレエ・リュスが欧米を席巻した20世紀(彼らはアメリカにも行ったし、団員たちはのちに上海や日本にも来た)に再起動して「20世紀に創られた舞踊」だろうと前から思っていて、とりあえずその概略はこうなると思う。

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そしてこの、周縁で育った目覚ましいパフォーマンスが文化の中心地に還流してジャンルを再起動するパターンは、実は20世紀のヨーロッパの芸術・文化全般について大なり小なり言えるのではないか。

少なくともクラシック音楽(の商業化した演奏)は、ほぼバレエと並行した経緯で今日に至っているのではないかという気がする。

「音楽の国」という議論は、たぶん、一方のヨーロッパ(ドイツ/オーストリア)の帝国主義時代のアイデンティティという話と、他方の北米で成功したがる20〜21世紀の東アジアの人材たちの話に分けてしまうのではなく、その両方がリンクしたダイナミックなプロセスとして見た方がいいんだと思う。

20世紀のクラシック音楽におけるレナード・バーンスタインの役割は、たぶん、舞踊におけるバレエ・リュスと何かが似ている。

(こういう放言は、社会的地位や常勤サラリーマンとしてのしがらみのある博士様のやることじゃない。そういうのは、失うもののない評論家に任せなさい(笑)。)