芸術と政治的抵抗

仮に西欧では今も芸術が政治的抵抗として擁護されているとして、それはどのような社会的文脈でそうなっているのか、そして普遍的・世界的に模倣追随できる立場なのかどうか。

年寄りにとっても無関心ではいられないこの疑問を若手にばかり期待して丸投げするわけにはいかないように思うがとうか。

ミスター・ゲームマンよ、紋切り型のレトリックを取り払って議論しようじゃないか。

例えば先の台風では、交通機関が普通に運行していた昼間に普通に開催された公演のほうが多く、けたたましい警告を先取りして対応する主催者は少数派だったようだが、これは抵抗の論理で説明できるのだろうか。

むしろハスミ元総長が好きな三塁打やフェンスに達するゴロに近い何かのような気がするのだが。