response と reaction

増田先生は、人間的な「応答」とリトマス試験紙が変色するのに似た「反応」の区別が肝要だと教え諭すが、これは、情報社会(ネットのコミュニケーション)の勘所というより、大衆社会論に先祖返りしている感じがある。

真田父子の「兵を塊と見てはならない。一人一人が思いを持っている」という山賊的な教訓が観客の共感を呼びつつ近代戦で敗北する、みたいな小劇場出身の三谷幸喜が好んで描くドラマの構図のメタ・ヴァージョンだろう。

で、増田先生ご自身の人生は、「反応」をエレガントにかわしてきたというより、人間的な「応答」をフィジカルもしくはケミカルな「反応」だと誤認して取りこぼす、みたいな誤爆でガタピシしてきたように見えるわけだが(そしてだからこそ、彼は21世紀を見通す情報社会の住人というより、20世紀大衆社会(=集団を塊 mass と見る世界観)への郷愁で生きる人に見えてしまうわけだが)、そこはつっこまないお約束になっているのであろうか。