フランスのオルガンと「長い19世紀」

ドイツのピアノ音楽はクララ・シューマンを中心に据えると読み解くのが容易になる、という思いつきに続いて、フランスの鍵盤音楽は、まず何よりも、カトリック教会が王党派や共和主義者と同じくらい強い国におけるオルガンの伝統、「19世紀のオルガン」に着目するのがいいんじゃないかと考えて、今年は折に触れてその話をしている。

試みに、19世紀の作曲家を、誰がオルガンを弾いたりオルガン作品を書いて、誰がオルガンと無縁だったか、と色分けしてみると、国や音楽のスタイルを横断する面白い図柄が見えてくると思う。ブルックナーはオルガン弾きだが、マーラーは管弦楽にオルガンを加えるのみで、自分では(たぶん)弾かなかった。ドヴォルザークはオルガン学校に学んだけれど、ブラームスがオルガンに取り組んだという話は聞かない。あるいは、メンデルスゾーンは結構ちゃんとオルガンに取り組んでいたはずだけれど、シューマンのオルガンへの取り組みは、何だか地に足がついていない印象を受ける。そしてシューベルトは古い教育で育った人なので少年時代に教会でオルガンを弾いた。等々。

そしてサン=サーンス、フォーレ、フランクはいずれも教会のオルガン弾きだったけれど、次の第三共和政世代のドビュッシーやラヴェルはオルガンを弾かない。

チェンバロが忘れられていた「ピアノの一人勝ち時代」は、実は18世紀末から古楽復興の19世紀末までのせいぜい100年のことに過ぎないし、そのように世俗世界でピアノが覇権を誇っていた時代にだって、教会ではオルガンが弾かれ続けていた。単に、そこに足を踏み入れなかった者と、そこに軸足を置いた者の違いがあるだけだったのではないか、と思うのです。

そういう風に考えると、改めて19世紀は分厚く長いと思うし、安全に前後の時代から切り離して省略できるようにはなっていない。

「短い20世紀」のスピード感は、借金をチャラにするように強引に19世紀を矮小化して捨て去ったことによるドーピングだったのかもしれない。

(19世紀という「借金」をチャラにしてしまうと、音楽の著作権というような概念もまた、随分身軽で軽快になりそうだが。)