官僚とポストモダン

前の一連のエントリーのアイデアを暫定的にまとめるとしたら、官僚やその補助学としての高等教育関係者各位には、「官僚的」に(=エセ教養主義的な「なんちゃって治者」として)ポストモダンと戯れて心のバランスを保とうとするよりも、粛々とモダニティ(19世紀後半がその基礎(←fundamentです!)を整えたような)のアップデートに取り組んでいただくほうがいいんじゃないか、そして、liberal なのか radical/revolutional なのか、議論は分かれるにせよとりあえず「ポストモダン」なのであろう運動は、モダンなインフラに寄生するのではなく、別の場所で展開したほうがいいんじゃないか、と思う。

(たとえば「社長東浩紀」のゲンロンって、そんな感じに官僚や大学ときっぱり縁を切っていますよね。「全体主義的」なのかもしれない時流に解毒剤が必要なのだとしたら、そういう処方箋になりそうな気がします。)

ゲンロン0 観光客の哲学

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