日本歌曲と日本の詩歌の歴史

日本の詩の流派を「浪漫派」とか「シュールレアリズム」とか、欧米の芸術運動になぞらえて分類するのは、それぞれの詩人の立ち位置を考えればそういうことになるのだろうけれど、

ドイツやフランスの歌曲と比較しながら日本歌曲を勉強するときには、むしろ、七五調を「韻律」と言えるのか、言えるとしたら、それは「うた」においてどのように機能するのか、そして七五調からの脱却は「散文詩」に相当する意味をもったと言えるのかどうか、とか、あるいは、語彙の選択において、雅語と日常語の区別が漢字や仮名といった文字の選択と連動していたりしていなかったりする日本の言語芸術の特性をどう位置づけたらいいのか、とか、そういうことを整理しておくほうが役に立ちそうな気がする。

そういうことを視野に入れて、とりあえず、思えばずいぶんな分量と歴史を積み重ねつつあるかもしれない日本歌曲の詩の出典をひとつずつちゃんと特定して、一覧できるような書誌学的な仕事を誰かちゃんとやったほうがよさそうですね。

(山田耕筰は第一次大戦直前のベルリンでドイツ・リートの最先端に感化されて、帰国後、三木露風や北原白秋に作曲したわけだが、第一次大戦後にドイツ留学した信時潔は、帰国すると、与謝野鉄幹の短歌、という微妙な立ち位置の定型詩に作曲して、そのあと、与謝野晶子のこんどは短歌と口語詩の両方に取り組んでいる。定型詩と自由詩の区別に対して山田耕筰は無頓着で、信時潔のほうが「意識が高い」ように見えます。)