ペダル・トレモロ・高音域 - グラントペラ時代のピアノの技術と効果

小岩信治「ピアノ協奏曲の誕生」のリトルフの章を学生さんと読んでいて、学生がこの章の筋立てをつかみにくそうにしていたので、一緒に考えているうちに、そういうことかと思いついた。

この章はピアノの改良が協奏曲のピアノ書法を変えて、その到達点として、シンフォニックな協奏曲というアイデアが生まれる、という立論になっている。そしてその前提になるのは、音楽の新しい効果は「作者の意図」や「表現意欲」によって生み出されるのではなく、技術革新の結果に過ぎないのではないか、というプラグマティックな態度(おそらく渡辺裕「音楽機械劇場」あたりに触発されたアイデア)ではないかと思う。

でも、もしそのようなプラグマティズムを採用するとしても、小岩さんの説明では問題の切り分けが十分ではないかもしれない気がしてきたのです。

小岩信治が具体的に取り上げる技術革新は、(1) イギリス式ピアノの重い音 (2) ダブル・エスケープメント・システム (3) 金属フレームの採用による高音域の充実の3つで、(1)がベートーヴェンの中期以後のサウンドを生み出し、(2)がアルカンのすさまじい同音連打を可能にして、(3) がエルツのきらびやかなコンチェルトの前提になったとされている。

そしてたしかに、ピアノの改良の(いわゆる進歩史観的な)説明では、

イギリス式ピアノ + ダブル・エスケープメント + 金属フレーム = 現代のピアノ

という足し算もしくはかけ算が成り立つことになっているけれど、ピアノ音楽・ピアノ書法の歴史的展開は、必ずしもこのような足し算orかけ算で「進歩」したとは思えない。

中期以後のベートーヴェン + アルカン + エルツ = シンフォニックなピアノ

とはならないと思うのです。

(1) イギリス式ピアノとベートーヴェン

ベートーヴェンの中期のピアノの目立つ特徴として、後世ではありえない「ペダルの踏みっぱなし」が月光やワルトシュタインで指定されていて、これは、弦の張りが安定して、ペダルを長く踏み続けたときに弦が振動しつづけることを前提しているのだから、イギリス式ピアノに触発された新技法だと思うけれど、それじゃあ、この技法がどのような効果をもたらすかというと、「輪郭のぼやけた遠くの響き」だと思う。月光ソナタは、第1楽章のもやのかかったサウンドのあとに、朝の目覚めのように爽やかなメヌエットが来て、終楽章の、あらゆる音型の輪郭を耳にたたき込む嵐(スタッカートで刻む音楽)で終わる。ワルトシュタインの終楽章は、まるで遠くから次第に何かが近づいてくるように、同じ旋律が3回、次第に強く大きな音で繰り返される。ベートーヴェンは、ペダルによる音の重なりを、ちょうど遠近法絵画で遠くの景色をぼかすような、音の遠さ/近さの演出に組み込んでいる。

イギリス式ピアノによって、ベートーヴェンは、音の遠近を発見したのだと思います。

(2) 19世紀の音楽におけるトレモロ

同音連打によるトレモロはピアノの専売特許ではなく、ギターやヴァイオリンでも使われる。でも、それじゃあピアノがギターやヴァイオリンを模倣するためにトレモロ・同音連打を使用するかというと、それは、むしろ例外的な特殊事例だと思う。(リストがパガニーニ練習曲でヴァイオリンのトレモロを模倣する、とか、バラキエフが、サントゥールか何か中東あたりの民俗楽器のトレモロをイスラメイで模倣する、とか。)

そして、そもそもギターやヴァイオリンがトレモロを多用するのは、たぶん19世紀になってからだと思う。(マンドリンも、例えばヴィヴァルディのマンドリン作品にはトレモロは出て来ない。)ピアノが他の楽器の奏法を模倣してトレモロで弾くのではなく、トレモロという技法とその効果そのものが19世紀に「発見」されたのだと思います。

ひとつは、ヴィブラートに似た音の持続に特別なニュアンスを加えたい、持続音に着色したいということだろうと思います。18世紀までの音の句読点・アーティキュレーションで音楽を作るやり方にかわって、長く伸びるレガートが好まれた時代なので、持続音がオルガンのように一定の音色・音量で伸びる、というのでは具合が悪かったのでしょう。

そしてもうひとつは、既にそれ以前のオペラの嵐の場面などの例もあるけれど、ざわめき・ゆらめきの効果は、ロマン主義時代にますます需要が高まって、何かというとトレモロで演奏されるようになったように見えます。(ワーグナーの音楽劇やブルックナーの交響曲はトレモロだらけですよね。)

(3) 高音域の燦めき

で、高音域の効果は、サロンのピアノの定番になっていくのでいちいち説明するまでもないように思いますが、メロディーの回りに香水を振りまいたり、舞台に金粉を降らせるのに似た手法ですよね。

そしてこのように考えていくと、

ペダルによる音の遠近 + トレモロによる持続音の陰影 + 高音域の燦めき

この足し算orかけ算の結果として弾き出される音楽は、20世紀への道ではなく、同時代の劇場、パノラマ式の背景で目を楽しませて、プリマ、プリモの声で耳を楽しませて、香水やワインの香りが漂っていたであろう客席が華やいでいるグラントペラに似た何かだと思うのです。

おそらく、ピアノの「技術革新」なるものは、こうした19世紀前半の社交界の環境、そこに最適化していたであろうピアノの諸技術・諸効果を、19世紀後半以後に語り直した後付けの物語なのだと思う。そしてそういう立論にしておいたほうが、小岩さんのピアノ協奏曲史も、次のリストやブラームスへのつながりがスムーズになるんじゃないかと思います。

(ただしそうすると、リトルフの「交響曲 - 協奏曲」という、まるでオール・イン・ワン家電製品風にひとつの作品で二倍お得な音楽を書く発想はどこから来たのか、それと、グラントペラ時代のピアノという話がどうつながるのか、もうひとつ、考えないといけないことが出てきそうですが。

でも、ショパンの「ポロネーズ - 幻想曲」(いわゆる幻想ポロネーズ)のように、ひとつの作品がジャンルAであり同時にジャンルBでもある状態を目指す傾向は、19世紀に確かにありますよね。

あれは、おそらく統合・融合・弁証法とは違うと思う。Aが同時にBであってもいいじゃないか、二重国籍状態をそのまま肯定して欲しい、という欲動のような気がします。なぜ19世紀の都市でそういう欲動が顕在化したのか、そこはよくわかりませんが。)