17、18世紀のオペラにおける宮廷歌手と劇場歌手と喜劇役者

今年のオペラの歴史の授業は、水谷彰良『プリマ・ドンナの歴史』を参考にしながら、歌手のプロフィールと作品の特徴を付き合わせることでオペラの歴史を考え直そうとしております。

たとえば、フィレンツェのカメラータのエウリディーチェではローマから来た宮廷歌手(貴族のお抱え)が歌っているけれど、その後ヴェネツィアで誕生することになる商業劇場には、当初は宮廷歌手は当然ながら出ていない。たぶん、この段階では、同じオペラといっても、宮廷歌手たちと商業劇場の歌手たちでは、唱法等がずいぶん違っていたんじゃないかと思う。

宮廷歌手が劇場で庶民の前に姿をさらしたり、逆に、劇場で成功した歌手がそれを足がかりに各地の宮廷で地位を得るのは17世紀終わり頃、ヘンデルやスカルラッティの時代以後のことであるようです。

(おそらく、そのように劇場と宮廷で人材が交流するようになったことが、作曲家=宮廷のエリートと女性歌手=劇場たたき上げの間に男女関係のスキャンダルが発生する温床になったのでしょう。ヴィヴァルディが司祭なのに女性(プリマ)と同棲していると批判された話が有名ですね。宮廷の作曲家たちは、マイ・フェアレディさながらにこれと見込んだ女性を手取り足取り指導してプリマ・ドンナを育てなければならなかったし、劇場と宮廷の交流が実現してはじめて、そういう環境が整ったんだと思います。そういえば、マイ・フェアレディの元ネタになったルソーのピグマリオンは18世紀のドラマですしね。)

そして誰が歌ったか、というプロフィールを見ていくと、オペラ・ブッファをセリアと並ぶ18世紀宮廷オペラの二大ジャンルと見るのはちょっと違うんじゃないか、という気がしてきますね。

ブッファの発祥であるナポリのインテルメッツォは、要するに、コメディア・デラルテ風に定型化された若い女性と老人の喜劇で、女性を庇護して育てる話が流行るのは、なんとなくバックステージでの台本作家や作曲家と主演歌手の関係を思わせますが、そういう出し物にスターは出なかったわけですよね。(神なき現世のドラマだから、オペラ・ブッファにはカストラートの役もないですし。)

そしてその後も、オペラ・ブッファ歌手がスターになった形跡はなく、モーツァルトの場合も、水谷彰良さんがざっくり言ってしまっていますが、ヨーゼフII世肝いりのウィーンのオペラ・ブッファ団は大したキャリアのない人たちばかりで「レヴェルが低かった」(と思われる)。モーツァルトの作品が異彩を放つのは、小物歌手(なかには歌手として訓練されていなかったり、その後役者に転向したヒトもいるみたい)のチームワークで人間臭いドラマが展開するからで、オペラ・ブッファとはそういうものだったように思われます。

セリアとブッファが二大ジャンルと言うようになったのは、ひょっとすると、モーツァルトがリバイバルした第二次世界大戦後のことなのではないか。

オペラ・セリアは17世紀初めのモノディ・オペラや商業劇場の流れを汲む出し物で、19世紀のメロドラマ的なオペラもセリアを継承しつつ作り替えたところがあるわけだから、オペラ・セリアはオペラの誕生から現在まで、いちおう歴史が連続しているけれど、オペラ・ブッファはそんな風に19世紀につながってはいないですよね。辛うじてドニゼッティまでは続くけれど、オペラ・コミック/ジング・シュピールやオペレッタは別の所から出てきている。

セリアとブッファの関係を、能と狂言のようなもの、と言ったりすることがありますが、出演歌手たちに着目すると、むしろ、舞台役者とテレビ・タレントくらいに格や歌唱に違いがあったんじゃないかという気がします。