19世紀後半の知性:音楽的教養(傾聴)と様式批判

小岩信治『ピアノ協奏曲の誕生』を今週も学生さんと一緒に読む。

そして気がついたのだが、

小岩さんは、フンメルがベートーヴェンのライヴァルであり、a-mollのピアノ協奏曲の終楽章の主題(ソ#ラ ミ in a-moll)がベートーヴェンのc-mollの協奏曲の終楽章の主題(ソ ラb シ シ シ ド)を踏まえているのではないかと指摘するときには、音型・音程構造の類似に着目している一方で、通常ベートーヴェンの影響下にあるとされるブラームスのピアノ協奏曲第1番が実は「モーツァルト的」に構成されているのではないかと指摘するときには、ブラームスの協奏曲の「第九」風の身振りとサウンド(執拗に持続するd音上の堅苦しい分散和音主題)の「類似」に惑わされることなく、

(1) 第1楽章の主題が単一のモチーフを発展させる(これを小岩は「ベートーヴェン的」とみなす)のではなく複数のモチーフ・楽想の組み合わせであること(これを小岩は「モーツァルト的」、具体的にはモーツァルトのc-moll協奏曲を踏まえた手法とみなす)
(2) 第3楽章のソナタ風ロンド(R-C1-R-C2-R-C1-R)で、クプレ1(C1)の再現が長調ではなく短調(d-moll)であり、最後のルフラン=コーダの長調(D-dur)との間で「影から光へ」のコントラストを演出していること(これを小岩はモーツァルトのd-moll協奏曲終楽章を踏まえた手法とみなす)

この2点を指摘している。

何が起きているかというと、19世紀初頭の音楽では「音型の類似」に着目して、19世紀後半の音楽では「共通の構造」に着目している。

ひとつの方法論で書物や論文が統一されているべきである、と考える教条的な人(音楽学会とかにはこういう人が結構いる)ならば、これを方法の不統一と言い募るかも知れないけれど、そうではなく、19世紀初頭の音楽と19世紀後半の音楽では、扱い方・聴き方が違っていいのだ、ということじゃないかと思う。

そもそも、ブラームスの協奏曲の分析は、ここではじめてコンチェルトが「傾聴」されるようになったことを論証する文脈に置かれている。

どういうことかというと、(もしかしたら小岩さんは自覚することなく実践してしまっただけかもしれないけれど)「傾聴」という作法が、ほぼ同時期19世紀後半から音楽論の主流になる様式史・様式批判の作法と表裏一体ではないか、ということだと思う。

「こっちの曲と、あっちの曲はよく似ている」ということを言い募るだけでは、音楽的教養とは言えないのではないか、ということです。

一見無縁に見えるところに「共通の形式/構造」を見ようとする態度は、両生類とは虫類、ほ乳類とそれ以外を見た目の異同とは異なる水準で区別する生物学を思わせる。おそらく、芸術の様式批判(音楽の様式論は美術の様式論の影響下で発展した)と生物学は、同じ時代の「知」なのだと思う。

教養が没落した、とか言い募るのはいいけれど、そこで没落した教養がどのような姿をしているのか、ということが、少なくとも音楽(や芸術)の議論では、あまり問題にされないまま今日に至っている気がします。(例えば渡辺裕とその一派は、「傾聴」を目の敵にするくせに様式批判の素養も力量もない人たちだと思う。様式批判という態度を抜きにして、いったいどうやってハンスリックの「形式」概念やアドルノの「素材」概念を理解するのか、ということでもあるし。)

19世紀をスキップしたり、いいかげんに扱うと、20世紀を語る視座まで一緒におかしくなる一例かもしれない。

小岩さんは、もうちょっと書き込んでくれないと一般読者に伝わりづらいかもしれないけれど、やっぱり、音楽の取り扱いがちゃんとした人ですね。