書物の生産 - 高等教育は学会という名の国営工場に頼るべからず

久しぶりにツイッターを眺めていたら、吉田寛先生が「作る」という発想にようやく目覚めたようだが、それで言えば、「ものづくり」という言い方で甘美に回想されがちな高度成長期には「知的生産」という言葉があった。博士号取得というゴールが明確になった現在の高等教育の制度設計にあわせて「知的生産」なる比喩をアップデートするとしたら、修士課程はワントピックの論文を生産する技術を習得する場所で、博士課程は単体で商品として世に出すことのできる書物を生産する技術を身につける場所だ、ということになるかと思う。博士号を持っている者は本が書けます、学位はその証です、というのであれば、世間も学位持ちをどう扱えばいいのか、戸惑うことがなくなるだろう。

こういう風にすっきり「生産」の比喩を適応できず、大学院という場所にわけのわからない口伝の風説(「忖度」)が横行して、むしろ、強化されているかのように見える(だから卒業生たちは昆虫のように有力教員の周囲に卒業後もぶらさがる)のは、論文や研究書のような生産物を公表したり、格付けしたりする機能を「学会」なる任意団体が一元管理しているからだろう。

「学会」は、たいていの場合、東大を頂点とする国立大学の教員を押し頂いて、さながら、官製国営工場のように営まれている。

(そういえば富岡製糸工場の初代所長、尾高惇忠は尾高尚忠の父方の祖父、ということは忠明の曾祖父だそうですが。)

「学会」がまるで一党独裁国家のように生産調整するものだから、研究者は、闇市場に商品を流すかのように、「現代思想」だの「ユリイカ」だのに、論文だか批評だかエッセイだかわからない作文を出して心を慰めるしかなくなっていたわけですよね。

(そしてこの種の論文だか批評だかエッセイだかわからない作文が何かの意味があるかのように取り扱われたのは、学問と相対するかのように「文学」とか「批評」とかいうジャンルがちゃんと存在していると信じられていたからこそ、なのでしょうけれど。)

「知的生産」というメタファーが昭和後期に出てきたのは、明治の官製工場からスタートした「ニッポンのものづくり」が民営化して、戦後の高度成長を達成したのだから、知性もお上のお下げわたしから脱却すべきだし、脱却できるはずだ、という提案だったんだと思う。

大学の周辺でも、「学会」ではなく特定の大学や研究室の発行する雑誌のほうが水準が高かったり、大学が学術出版に乗り出したりしているわけだから、リアルな「ものづくり」ほど目覚ましい急成長ではないけれど、おおむね、その方向にものごとは進むでしょうね。

他方で、日本音楽学会は会費が集まらなくて困っているらしい。

任意団体であれ何であれ、会計の実務をやってみればすぐにわかることだが、個人の財布からお金を出していただくときには、その個人と正対して、一対一の関係をとり結ぶことになる。請求書の送付/領収書の振り出しは、そのための儀式ですよね。会費納入は、個人と当該団体の「契約」です。

会員への一斉送信メールで、ここに振り込んでください、とやるだけで個人が財布の紐を解く、と考えるのは、経済という高度に文化的な営みの基本がわかっていないんじゃないかと思う。

そういうところの手間を省いて、その分のリソースを見た目の華やかな、学会の権威や体裁の維持に回す、というのは、わかりやすい滅びの道だろう。

「消費者ボケ」ですな。