聴衆の消滅:第三者の審級について

シンポジウムの企画・進行係とパネリストの関係が曖昧だったり、記録・報告を登壇者自身がやったり、というのは、とてもわかりやすい「第三者の審級」の消滅、渡辺裕の著作をもじれば、「聴衆の消滅」だと思う。

今では多くの任意団体でその風習が失われつつあるようだが、「戦後民主主義」という理念が有効であった高度成長期は、1930年代に中井正一が構想した「委員会の論理」をそれなりに実践する形で任意団体が新体制に対処した時代であったと言いうるように思う。日本の「学会」「研究会」には、ルネサンスのアカデミーとか寺子屋とかという遠い過去の想像的な起源とは別に、そのような近い過去の実証可能な起源がある。

そのような戦後の「委員会」タイプの任意団体の風習のうち、会則を設けて、運営組織を整備する、というような記録が明確に残る部分は、多くの任意団体が顕在的・潜在的に「法人」に再編されつつある21世紀にも継承されているが、記録にはあらわれにくい「会合=イベント」本体の風習のうち、どうやら「第三者の審級を立てる」という発想は、なしくずしに失われつつあるように見える。

往年の「委員会」タイプの会合は、議長と記録係を運営サイドとは別に立てる、というのが通例である(であった)。今でも、官公庁系の会合や株主総会など、形を崩すわけにはいかない会合はその風習を残しているが、個人の自発的な意志で成り立つ任意団体の多くは、今ではそのような「第三者の審級」を会合の場に設定する力がないようだ。

「第三者の審級」が要請される(された)のは、

「人は自らの声を自らの耳で聴くことはできない/人は自らの姿を自らの目で見ることはできない」

という認識が基礎だと思う。委員会的な「会合」だけではなく、イベント全般、ライヴ・パフォーマンス全般の基礎にあると長らく信じられてきた格言ですね。

でも、一方で、

「録音があれば、誰が会合の記録を作っても同じことだ」

というのが、おそらく、1970年代以後のメディア環境で育った者のぶっちゃけた考えなのだと思う。

録音と動画があればいい。環境が許すようなら、リアルタイムのストリーミングとタイムシフト試聴ができるようにしておけば、もう、記録係なんていらなくね、ってなことかと思う。

でも、実際に会合を有料で動画配信して会社化している東浩紀が「観光」と言いだしているのは、第三者の審級が要請されるし、やっぱり生成されてしまう、ということだと思う。

写真・録画・録音についても視聴覚文化論的検証がさかんで、ジョナサン・スターンのけばけばしい文章をざっと読むだけでも、録音とその再生・聴取は、「自らの声を自らの耳で聴く」のとは異なる、相当人工的な信念・前提・仮定の上になりたつ「文化」なのだとわかってきますよね。

第三者の審級を立てない任意団体は、「聴衆を消去」することで全能感を謳歌しているわけだが、まあ、普通に考えたら、むしろその団体のほうが先に滅びるでしょうね。第三者がそこに関与することなく閉じているわけだから。

聞こえくる過去

聞こえくる過去

ゲンロン0 観光客の哲学

ゲンロン0 観光客の哲学

そして今から振り返れば、聴衆は本当に「誕生」していたのか、ってことになりそうだよねえ。

聴衆の誕生 - ポスト・モダン時代の音楽文化 (中公文庫)

聴衆の誕生 - ポスト・モダン時代の音楽文化 (中公文庫)

観光都市京都であるとか、西宮北口・梅田あたりに新たな拠点が形成されつつある阪急沿線文化とか、柔らかい個人主義のほうは、「女子力」の支えで今もしっかり存続していますけど、渡辺裕の「東大男子力」は分が悪そうだね。

舞台をまわす、舞台がまわる - 山崎正和オーラルヒストリー

舞台をまわす、舞台がまわる - 山崎正和オーラルヒストリー

(ちなみに、70年代以後の「千里文化圏」構想に乗ってそれなりの存在感を誇っていた日下部吉彦さんは、同志社出身というだけでなく京都生まれだったことを、先の葬儀で知りました。大変立派な発声の法然院のご住職が日下部さんの葬儀に執り行っていた。

千里丘陵の未來は先行きが不透明だけれど、「千里に賭けた京都人」は梅棹忠夫だけじゃなかったようですね。)