そしてようやく、「演歌的」情実人事の解明に向けて

制度に問題や破れが生じたときには、まず、制度的な手順に沿った修復を試みるのが順当だろう。

任意団体が開催した行事におかしな点があるなら、その行事の主催者が責任を問われる。学会のシンポジウムが妙な展開になったとしたら、そのシンポジウムの企画運営者が責任を問われることになるだろう。

輪島祐介がここ数年の間に提起した研究課題としては、(1) 演歌の言説史 (2) ニューリズムに着目した昭和期の舞踊と流行歌の関係の見極め (3) カタコト歌謡というカテゴリーの提唱、の3つが世に出ていて、(2)は課題としての広がりが豊かで、これを踏まえた関連研究が次々出てきそうな予感がある。(3)は、まだ海の物とも山の物とも知れない。そして(1)は、既に流行歌研究に対する発見的な効果の賞味期限が切れつつある(輪島自身もシンポジウムの冒頭でそのことをほぼ認めた)。

今後の将来性・成長可能性という観点で言うと、

(2)が本命で、(3)は大穴、(1)は無印

ということになるかと思う。そしてそうであるにもかかわらず、敢えて今(1)を学会の場で話題として取り上げるのは、「不出来な子ほど可愛い」という親心に見えてしまう。だから私は、そんな温情でシンポジウムをやっていいのか、という懸念を開催前に指摘した。

シンポジウムの登壇者の顔ぶれには、ひとりだけ、演歌研究に直接携わっていない者が入っていた。そして案の定、この人物がシンポジウムでは不規則行為で暴れ回った。

この人物が輪島祐介の学生時代からの「友人」であることは周知のことで、実際、この人物はtwitterで「輪島君」などとなれなれしく輪島祐介を呼んでいたのだから、情実人事が見事に失敗した、という風に総括するのが、一番簡単な決着だろうと思う。

でも、どうして今このタイミングで輪島祐介が情実人事に手を染めてしまったのか、その動機がまだはっきりとは見えない。

増田聡は最近全然勉強していなくて、学生時代のツレであった仲間のなかでは、「輪島君」や吉田寛(彼もまた輪島祐介を「ワジマ先生」と妙な表記で呼ぶ)とは随分差がついている。

以下は私の推測だが、シンポジウムを企画した段階で輪島祐介にそのことは当然わかっていたはずで、彼は、「不出来な子ほど可愛い」の論理で演歌研究をテーマに設定したときに、だったらここでいっそ、「不出来な友人への救いの手」をさしのべようと思ったのではないか。

もうひとつよくわからないのは、なぜ輪島祐介がほかでもなく日本音楽学会の関西支部でシンポジウムを企画することになったのか、ということだ。

推測に推測を重ねることになってしまうが、ひょっとすると、学会の例会幹事から何かやってくれと頼み込まれたのではなかろうか? そして、「不出来な学会」からの依頼に一肌脱ぐのであれば、「不出来」つながりということで自分の研究課題のなかで一番不出来なものへのどうしようもない愛着を表明することにして、ことのついでに、友人たちのなかで一番不出来な奴を呼ぼう、ということだったのではないか?

(あと、これも現時点では当事者が事情を明かしてはいないので想像の域を出ないが、新書ブームに乗って演歌論の出版が実現する過程で、ひょっとすると増田聡が何かの役割を演じたのではないか、と私は思っている。そういう若き日の「借り」を、しがらみゆえに断り切れない学会行事の機会に返してしまおう、ということだったとしたら、ほんとにどうしようもない公私混同ということになると思いますが、これはあくまで私の想像でしかありません。)

そうではないかもしれないけれど、そのように勘ぐられてもしかたがないくらい念入りに「不出来」感が重なってしまうようなイベントは、仮に「炎上商法」だったとしても、わたくしは二度とやっていただきたくない、と考えます。

日本音楽学会会員 白石知雄