Write once, use anywhere - 全能のイーターフェースへの夢想とその終焉

Write once, use anywhere はサン・マイクロシステムズがプログラミング言語Javaを売り出すときに使ったキャッチフレーズだそうだが、一度書いた定数をあらゆるところで使い回せるように書式を効率化するプログラミングの作法あたりから着想されたのでしょうか。

コンピュータ(のネットワーク)による情報社会の構想、その可能性と限界をよくあらわした標語だと思います。

いつどこで誰がそれを書いたのか(write once)をエンドユーザに見せないインターフェースを工夫することで、あらゆるものをあらゆるときに自由に使う全能(use anywhere)が夢見られたわけですね。

(奇しくも、プログラミング言語Javaはオブジェクトの継承を実装するために interface というワードを採用していましたが。)

「すべてはコピペである」というのは、非常にわかりやすく、「いつどこで誰がそれを書いたのか」を忘れた議論だったわけで、そのような全能感を夢想するニューエイジめいた高等遊民が大学に巣くって、「いつどこで誰が何を書くか」を管理するいわゆる「事務方」を目の敵にするのは、自ずとそうなってしまわざるを得ない症状に過ぎない。

whrite once と use anywhere はワンセットとして既に稼働してしまっているのですから、両者を分割して、その対立を煽るような言動に警世や未來への提言はないと思います。

そして逆に、仮想通貨のブロック・チェーンは、最初に採掘されて以後のすべての履歴を持って回る技術として注目されているようですね。write once と use anywhere の関係を組み替えるところが技術として新しい、ということだと思います。

AIという言い方で話題になっているディープ・ラーニングも、あるときある場所で誰かが残したデータ(write once)の膨大な蓄積を活用する新しい方法の提案なのでしょうから、いまは write once と use anywhera の新たな関係構築が模索されており、use anywhere だけを切り出して全能感を夢想する時代(それは同時に両者を仕切る臨界面=インターフェースの時代でもあった)は終わったと見て良いのではないでしょうか。