多様性ベースの世界観

輪島祐介が演歌の言説史研究(創られた日本の心云々という長いタイトルの新書)の最後で多様性の擁護のようなことを書いたのを読んだときに、いきなりこの結論に飛ぶのは甘いのではないか、と思った。

音楽を同一性ベースで読み解く構えは、楽曲分析から社会史・文化史まで根強くあって、これへの対案を組み立てる作業はまだ十分にまとまっていないのが現状のように思う。

多様性をめぐる思考が脆弱なユートピアになりがちなのは、「つながり」等と言った社会科学的なモデルが乱立しているにもかかわらず多様性を擁護する哲学的な基礎がはっきりしないのと、実践的な技術として「ブリコラージュ」や「DIY」のようなとりあえずの提案が20世紀のオルタナティヴとして中途半端に受けてしまったのが原因ではないかと思う。

たぶん、もっとやりようがあるはずだ。