相手に届かない言葉

前にも書いたが、朝日新聞の朝比奈隆追悼文について伊東信宏さんに感想を述べたら、「こういうことは、生きているうちに書かくのでなければいけないのだけれど」という趣旨のことを言われた(伊東さんはこういう口調で話す人ではないから、私の記憶のなかで言葉遣いが歪曲されているとは思いますが)。

批評・論評は相手に届くように書くのでなければ陰口になる。死者について何か言うのは、(内容が誉め言葉だとしても)究極の陰口だなあ、あるいは、その人の退任が決まってからことさらに何かを言うのでは手遅れだよなあ、と思って、以来、佐渡裕のことも、大友直人のことも、沼尻竜典のことも、大植英次のことも、西村朗のことも、井上道義のことも、それぞれの方が目立つポジションに在任している間に、当人からのリアクションがあればすべて甘んじて受けるつもりで感想を公表している。

(そして死者の供養という観念が一方にありますが、レクイエムや仏式葬式の法要はそこに参集した生者たちの宗教行事と位置づけられていますよね。死者を前にして「生きた言葉」を発するとしたら、そういう形式しかあり得ないと思う。)

いずみホール音楽ディレクター礒山雅氏については、既に生前から折に触れて書いておりますので、いま特に新しいコメントはありません。