ジェミニアーニ、コルンゴルト、バルトーク

……ということで、先月の京フィル定期と今月の間フィル定期の解説を書かせていただきましたが、

京フィルでは、山田和男(一雄)のサティ「パラード」みたいなシンフォニエッタとともに、ジェミニアーニの面白さを教えてもらった。コレッリの弟子が英国に渡ってソロ・コンチェルトとカルテットと合奏曲の中間のような音楽を書いていたんですね。本家バロックにこういう豊かさがあったうえでの「新古典主義」、20世紀のオーケストラのためのコンチェルトとかチェンバー・オーケストラとかがあったんだなあと改めて思います。

間フィル定期は選曲が面白い。バルトークのオーケストラのためのコンチェルトを「1940年代半ばに北米で生まれた作品」という視点でミクロス・ローザの映画音楽、コルンゴルトのヴァイオリン・コンチェルトと組み合わせる演奏会で、こういう風に並べると、コルンゴルトが「高級ではあるけれども懐古的な音楽」に聞こえて、やっぱりバルトークは北米でも筋を通して偉かったと思えてくる。コルンゴルトは、小谷野敦の言う「19世紀であれば芸術扱いされたであろう20世紀の通俗」で、バルトークは「純文学」ですね。

なお、コルンゴルトのコンチェルトの第1楽章で「砂漠の朝」と「革命児フアレス」のメロディーが使われているが、どちらの映画も「異国(植民地)の欧州人」の話だから、やはり、映画とコンチェルトの「気分」は無関係ではなさそうだと思った。望郷でしょうか? 第2楽章も新旧両大陸をまたにかけて活躍した男の話(風雲児アドヴァース)だし、第3楽章は北米の旧宗主国英国の王様のお話で、やっぱりコルンゴルトは北米に永住しようとは夢にも思っていない欧州人だと思う。世界情勢の認識が甘い。

(余談ですが、前に関西フィルが定期演奏会でやったウェーバーのトゥーランドットは、ウェーバーがルソーの百科事典などから中国の旋律を見つけて使ったとされていて、要するに18世紀啓蒙主義/百科全書の時代の劇場に「ワールド・ミュージック」のはしりみたいな異国趣味があったということです。

で、第二次大戦後に、ヒンデミットは、このトゥーランドットや、ウェーバーの連弾のためのピアノ小品という、ワーグナーの楽劇(ヒトラーが大好きだった)とは真逆の素材を「ドイツ音楽」から選んでオーケストラ音楽にしたわけで、これは、ブリテンが「青少年の管弦楽入門」でパーセルを使ったのに似た“はぐらかし”だと思う。同じ頃ソ連ではショスタコーヴィチが「第九」をはぐらかしたわけですよね。

ローザ/コルンゴルト/バルトークの1945年、の次に、ブリテン/ヒンデミット/ショスタコーヴィチの「はぐらかし」を並べると、20世紀も面白い時代じゃないか、という気がしてくる。)