フィクションとヴァーチャルの混同、神話と歴史の混同、欲望と自由の混同

20世紀から21世紀の転換期に出てきたどことなく胡散臭い文化論を総括するとしたら、この3つが手がかりになるんじゃないかという気がする。

たぶん、フィクションとヴァーチャル、神話と歴史、欲望と自由は欧米語では別の文脈・系譜を背負った言葉だからそう簡単に混同されないと思うのだけれど、これらの言葉を翻訳語として現代日本語に取り入れて使うときに妙なことが起きた。

でも、来るべき21世紀は言葉を粗末に扱うバカの時代である、ということにはならないと思うんだよね。この島が21世紀に転換する数十年間が珍妙であったとしても(そしてそこで生成された「コンテンツ」がグローバルに「ネタ」として面白がられている実態があるにしても)、それが世界の先端なわけではない。

19世紀のオペラ、20世紀の映画がそれぞれの時代に特徴的な文化であったということまでは言えるだろうけれど、フィクションとヴァーチャルの混同、神話と歴史の混同、欲望と自由の混同を解きほぐさないままの曇った瞳で「21世紀に何が来るか」を予測しようとしても、たぶん、間違うだろうと思うのです。

(「ゲームの時代が来ている」のかもしれないけれど、混乱を解きほぐした先で立ち現れる「ゲーム的な何か」は、いったいどういう姿をしているんでしょうね。)