家庭とポストモダン

21世紀への転換期の日本でポストモダンが流行ったのは、ポストモダンと呼ばれる運動の実質が1960年代の新左翼なのだから、その子ども世代が親たちの文化資本を元手に打って出た(「失われた20年」世代にはそれくらいしか文化資本の元手がなかった)という核家族マイホーム主義のちょっと残念な末路なのではなかろうか。

家庭の集合体のような「学校」の外部でもっと色々なことを学ぶことができるような社会であればよかったのに、「街」でも「村落」でもない郊外に家を建てて、そこで子どもが育つ体制(子どもは昼間を学校、夜を家庭というように、ずっと郊外で過ごすわけですね)が確立してしまった20世紀の終わりから21世紀の初めのこの島は、そういう風になっていなかったということなんでしょうね。