モーツァルトとロッシーニ:レチタティーヴォの唱法、「緩から急へ」の起源

朝日新聞が大阪国際フェスティバル名義でやったロッシーニ「チェネレントラ」は藤原歌劇団のプロダクションをもってきたもので、巨大な本から人物たちが出てくる演出についてはひとしきり何かを言えるのでしょうし、脇園彩が出るのが注目、ということで普段の大阪のクラシックコンサートとは違うタイプの人たちが集まっている雰囲気の客席でしたが、そのあたりは興味がないので別の話を書きます。

フォルテピアノのコンティニュオが意欲的で、歌から語り、語りから歌への和声・調のつながりを意識したソルフェージュのお手本のような演奏だったと思いますが、こうなると、コンティニュオの流れにきちんと乗ることができる歌手と、乗れずに自分のパートをただ丸暗記して歌っている歌手の違いがはっきりわかる。

そして、自分のパートを丸暗記して、なおかつ、楽譜上の強拍にパンとはじくような強弱アクセントをつけて歌うと、ほぼ、昔ながらのスタイルでモールァルトのオペラを歌っている感じになる。

たぶん、このスタイルは19世紀のセッコがなくなって以後のオペラのレチタティーヴォの歌い方で、私たちがモーツァルトをこうした唱法で聴き慣れているのは、モーツァルトのオペラが20世紀に復興したときに、レチタティーヴォの唱法に19世紀のスタイルが紛れ込んでそのままになっていたからではないかと思う。

ただしややこしいことに、ロッシーニはモーツァルトのスタイルで作曲しているように見える。

ロッシーニはイタリアのオペラ作曲家だけれども、「ドイツの器楽」がヨーロッパで市民権を得て以後の「ポスト・モーツァルト」世代であって、オーケストラはかなり雄弁だし、ダ・カーポ形式に変わって最後を煽り立てるコンサート形式のアリアを採用している。「ドイツの器楽」を踏まえることなしにはオーケストラを書けなくなっているし、オペラ歌手たちは、劇場だけでなくコンサートの舞台で喝采を浴びることを覚えてしまっているのだと思う。

(「緩から急へ」のレトリックが19世紀初頭の器楽コンチェルトとオペラ・アリアの両方に見られるけれど、これはオペラ(劇場)の手法がコンサートで採用されたというより、コンサートという新しい環境で育まれた手法が劇場に取り入れられたと見た方がいいんじゃないか。コンサート・アリアの成立と発展の歴史をちゃんと調べないと確かなことは言えないけれど、劇場の舞台と観客の関係は、公開コンサートの成立と普及によって18世紀末から19世紀に転換したのではないかと私には思える。そしてコンサート・アリアは、そのプロセスをたどるための素材として使えるように思うのです。)

19世紀以後の演奏習慣を逆流させないやり方でモーツァルトとロッシーニの関係、異同を見極めるには、まだもう少し時間がかかるのかなあ、と思う。現行の「ロッシーニ・ルネサンス」は、そういうことを考えるための出発点ではあっても、ロッシーニ上演の結論・決定版ではないかもしれない。

ロッシーニは歌えるだけで立派なことで、バレエのプリンシパルやフィギュア・スケートの金メダリストに感嘆するような聴き方をしてしまいがちだけれど、レチタティーヴォを含めて、ドラマとしての取り扱いは簡単ではなさそうに思う。