ポスト冷戦時代のシューベルト

週末にシューベルトの「未完成」についてお話をさせていただく予定になっています。

色々考えて、使いたい演奏を並べてみたら、ミンコフスキーのピリオド・アプローチをベースにして、(シューベルトを演奏しているわけではないですが)バーンスタイン、クライバー、ムーティ、ガーディナー、メッツマッハー、パーヴォ・ヤルヴィの演奏(映像)の断片を組み合わせながら話を進めることになりそうです。

ポスト冷戦時代、と言うと大げさすぎるかもしれませんが、オーケストラの歴史のなかにシューベルトを位置づけることと、20世紀から21世紀の転換期に指揮者たちがオーケストラをどういう風に切り盛りして、歴史の舵を切ったのかということの自分なりの総括は、切り離せないように思っております。

素材を探すなかで、80年代にアバドがヨーロッパ室内管と取り組んだシューベルトを聴いて、やっぱりこの人は凄いと思ったし、大学院時代にベルリン・フィルのアバドのことを酒の席で渡辺裕先生と「中間管理職のサラリーマンみたいだ」とdisったのは申し訳ないことだったと反省しました。今回この演奏は使わないと思いますが。(そしてベルリン・フィル時代のアバドは、それ以前の切れた演奏とも、晩年の自在な演奏とも違っていて、聞き直してもイマイチだと思いましたが。)

それにしても、バーンスタインが提唱した音楽祭が札幌で軌道に乗って、メッツマッハーやミンコフスキーやヤルヴィが東京や金沢のオーケストラに迎えられているのだから、世紀転換期のこの島は、クラシック音楽に関しては、「失われた20年」というより、むしろ、成功裏に獲得したことが色々あったと見ていいのではないでしょうか。

(郊外で家庭と学校を往復しているだけだと気付きにくいことかもしれませんが。)