リストvsタールベルク:身体と音響の分離

前のエントリーでも書いたけれど、「リストvsタールベルク」として語り継がれてきたパリのサロンの伝説について、上田泰史さんの綿密な調査にもとづく論考は画期的だと思う。

「タールベルクのアルペジオ」は、中音域に置かれたメロディーを両手で交互に取るわけだから、ピアノが生み出す音響(アルペジオの雲からくっきり浮かび上がるメロディー)は、もはや、「ピアノを弾く身体」(岡田暁生)に対応しない。タールベルクがピアノを弾く姿はスタティックだったと伝えられているそうだが、それは、「趣味」の問題ではなく、身体から分離した音響を奏者自身が観察・コントロールするために必須の構えだったのではないかと思う。

上田さんは、当然ながら慎重に、これがタールベルク単体の「発明」ではないことを断っているけれど、リストとフェティスが論争になったのは、ピアノ演奏に潜在的な可能性としてあり得た道としての「身体と音響の分離」を、周囲からその是非が問われるほどの成果にまとめたのは他ならぬタールベルクだった、ということなのだろうと思う。

翻って、リストは、もちろんそうした可能性を知ってはいたのだろうけれど、タールベルクの登場までは、積極的に探究していなかったのではないか。カリカチュアに描かれたリストの身体を大きく動かすピアノ演奏は、両手が音と一緒に鍵盤上を上下(左右)に駆け回る奏法だったことをうかがわせる。リストは、パリのヴィルトゥオーソ時代の作品をワイマール以後に大幅に書き直しているけれど、書き直し前=タールベルク以前と以後で何かが変わったと解釈できるところがありはしないか。誰かがチェックしてみるといいのではないかと思います。

もし、予想が当たっていれば、ピアノ演奏における「観察者の系譜」(ジョナサン・クレーリー)を語ることができるようになるんじゃないかと思う。

リストは、パガニーニ練習曲の最終版やハンガリー狂詩曲のように「ピアノを弾く身体」が露呈して上品なサロン音楽の範疇を超え出てしまうようなピアノ音楽をワイマール移住以後に書いたわけだが、これは、タールベルクが先鞭をつけたのではないかと思われる「身体と音響の分離」の前に戻る反動ではなく、「身体と音響の分離」というフィルターを通して見いだされたサロン的なものへの対案、近代に特徴的な「invented tradition」と位置づけることができるのではないでしょうか。

(invented traditionというホブズボウムの概念は19世紀後半のヨーロッパから見いだされたものなのだから、音楽に適用するとしたら、昭和期の日本の大衆歌謡(演歌)等に「応用」するより前に、まず、リストの変貌というような19世紀後半の現象で成り立つかどうかを検証すべきでしょう。「近代日本文学」(正確には19世紀後半の日本の小説)に日本の左翼評論家がinvented traditionを見いだそうとするのは、同時代なのでまあいいとして、そういう試みの成功の尻馬に乗り、invented traditionという見方が、ここにも成り立つ、あそこに成り立つ、と時代や地域や社会背景をすっとばしてこの概念をあちこちに「コピペ」して貼り付けるのは、もはや学問ではないだろう。そういう風なハヤリ言葉の濫用が、「歴史」を消してしまうのだと思う。)

一方、岡田暁生が「ピアノを弾く身体」という論を立てたのは、むしろうああいうアングルこそが、ピアノ演奏における「観察者の系譜」を消してしまおうとする復古主義的な反動だと思う。(岡田暁生がクラシック音楽からジャズに転進したのは、身体と音響の分離を断固拒否するための一種の「亡命」に見える。)

もちろん、身体性を消去してピアノ演奏を考えるのは問題だろうし、岡田暁生がピアノ演奏の身体性という論点を印象的に打ちだしたのは見事な業績だと思うけれど、しかし彼の論とは逆に、近代の身体は、楽器演奏においてすら、新しいメディア体験による身体と感覚の分離(その先に「サウンド」概念が見えてくるような)のほうへ向かっている(いた)のではないか。そして現代のピアニストたちは、そのことを身をもって生きているから、岡田流のヴィルトゥオーソ論/ノスタルジックな身体論にのってこないのではないだろうか。

パリのサロンと音楽家たち 19世紀の社交界への誘い (5023)

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