大学院に進学したころに、もう「先生」の枠組を追いかけるのは古いな、と思って、それでもこれと見定めた「先輩」の背中を追いかけているところがあったように思うけれど、それから四半世紀過ぎて、オペラやピアノ音楽や西欧芸術音楽の理論と歴史を今の学生さんたちに説明するときには、自分より若い人たちの研究成果を取り入れながら話をどんどん組み替えている。
学問とは、そういうものだと思う。
老人は「今時の若い者は」と文句を言うものである、とか、昔、年長者からこういうことを言われたので、臥薪嘗胆、こうして彼らに復讐を果たしたぞ、とか、
縦社会というものがこれこのように今も存在するではないか、と告発したり、私はそれを(部分的に)こういう風に壊したぞ、とかいう話は、基本的に私はまったく興味がもてない。
知・学問は、そういうのとは無関係なやり方で構成される理念だし、知・学問が「縦社会撲滅運動」(そういうのがあるとして)に役立つかどうか、というのも、正直、どうでもいい。
好ましくないものを撲滅する運動は、それはそれとしていいことなのだろうから、それにふさわしい場でおやりになればいいとは思いますけれど。