1990年代の音楽学者の意識と存在

岡田暁生や伊東信宏、片山杜秀らが台頭したのは、色々な賞を得たり、吉田秀和が彼らの存在を特別なものとして意識して動きはじめた2000年代のことだとひとまず言えるとしたら、それに先だつ1990年代には、一回り上の世代の「音楽学者」が中年過ぎてからにわかに積極的に音楽批評に乗り出す、という現象があった。

(鈴木淳史がそうした人々への揶揄を新書で書いたことがあった。)

礒山雅は、そうした「音楽学者の批評への新規参入」の代表格だと思いますが、彼らとその周辺は、「我々こそが音楽批評不毛のこの島に真の批評を今こそ打ち立てるのだ」と自負していたらしい。そのような情報を最近得て、びっくりしました。呆れた誇大妄想が彼らを駆動していたらしい……。

(彼らが本気でそう思っていたのだとすれば、そのような肩に力の入った自負は、なるほど鈴木淳史の恰好のツッコミどころだったのだろうと思います。)

でも、聴衆の立場からの言葉を立てなければ公開コンサートという制度が完成しないのは今に始まったことではなく、音楽学者が批評に新規参入できたのは、この島の聴衆のメインストリームが知識・お勉強寄りにシフトしつつある時代だったことの結果に過ぎないだろうと思う。

しかも、突然そうなったのではなく、礒山雅は渡辺護の後継者みたいなところがありそうだし、関根敏子(鈴木淳史が自著で彼女の批評文を具体的に論評している)が日本オペラの大家みたいになったのは増井敬二の跡継ぎとしてなのだろうと思うし、関西にもそうした「○○の跡継ぎ」という系譜を見いだすことができると思う。

当人の意識(「真の音楽批評はこれから始まる」)と存在(「この人は○○さんの後釜だよね」)が乖離したところに、この世代の特徴がある。

この世代はそろそろ引退の頃合いであり、礒山雅は死んでしまいましたが、生きている間に、ちゃんとそうした「系譜」を明らかにしておくべきでしたね。

ともあれ、意識と存在の乖離した人たちが退場する頃合いになってきたということは、状況が苗字ねじ曲がってしまう原因が取り除かれて風通しがよくなるかもしれない、ということですから、めでたいことだと思っております。

[……例えばこういう切り口で「世代論」を語る事だってできるはずだから、新世代が力を得て旧世代を粉砕する、みたいなカビの生えた物語を反復再生産するのは、もう打ち止めにしていいだろうと私は思う。その種の世代交代の物語はダサくて退屈だし、世の中にはその枠組からこぼれおちる事実が多すぎるという意味で、コストパフォーマンスが悪い/無駄な負荷があちこちにかかりすぎると思います。]