「創られた伝統」論vs大阪に新たな伝統を創ろうとした音楽学者

複数の授業で、皆川達夫監修の「中世の音楽」という教育ビデオを批判的に吟味する、ということをやりつつある。

  • (a) パリの教会では今もグレゴリオ聖歌が歌われている

というのがツカミの映像であり、

  • (b) 教会で生まれた「音楽」が教会の外にも広まった

という言い方で最後に騎士歌人(吟遊詩人)を紹介する。

「創られた伝統」(上記(a)に対して)とか、「楽譜中心主義」(上記(b)は、記譜法の普及・応用を「音楽」の伝播と混同している)とか、ということを実習する糸口としてちょうどいいと思うからです。

皆川先生も、現在であればこういうストーリーにしなかったと思うし、取材・撮影された映像は個々にとても興味深いのだけれど、それでも、1980年代初頭にわかりやすくお話をまとめようとすると、こういうレトリックを使ってしまった(ことが映像コンテンツとして残されている)。

心を鬼にして、「創られた伝統」という議論は、こういう場面でこそ使うべきであろうと思う。あれは、若者が何かを一刀両断して溜飲を下げるのではなく、忸怩たる思いで現実を一歩ずつ動かしていくときに使うレトリックだろう。

(わたくしも、音楽史入門の授業で、このビデオを毎年とても便利に活用させていただいていました。そのことへの感謝は感謝として、指摘すべきは指摘する、ということです。)

そして逆に、礒山雅が1990年代からウィーン楽友協会を模した関西の音楽ホールでやろうとしたのは、既に「創られた伝統」という議論(に結集することになるはずの萌芽的な知見)が現れつつあった時期に、その種の知見を、むしろ「伝統を新たに創る」ために利用することだったと思う。

「創られた伝統」のカラクリを知ったうえで、ひとたび「創って」しまえば、古くからあるように思えてしまうのだから大丈夫、と踏んだわけだ。

やはりこれは、90年代以後、各方面で論議を呼んでいる最新型の「反動/バックラッシュ」(左翼の運動戦略を換骨奪胎して取り込む保守ポピュリズム)の好例であったと総括するしかなさそうに思う。当人が死んだあとの整理は、そのように粛々と進めるしかあるまい。

彼に何らかの功績を認めるとしたら、伝統を創ろうとしたこととは別のところに求めたほうがいいだろう。