ミューミュージコロジーの前提:北米の知識人がヨーロッパにアイデンティファイした時代

ニュー・ミュージコロジーのアンソロジーにしばしばタラスキンの論文が収録されているのが、前から疑問だった。

タラスキンがロシア/ソ連の音楽に関する知見をベースにして展開する議論は確かに的確で、その前の世代を乗り越える視点を含むとは思うけれど、そんなことを言えば、1970年代80年代の音楽学者たちだって、冷徹な実証と現代音楽に刺激を受けたのであろう醒めた作品分析で、その前のフリードリヒ・ブルーメあたりの戦後第一世代を乗り越えたわけだから、学説が正常・順当にアップデートされただけのことではないか、ことさら「ニュー」ミュージコロジーというほどの画期ではないんじゃないか、と思うのです。

(そして1990年前後の日本からの留学生がメンデルスゾーン(星野)やリヒャルト・シュトラウス(岡田、広瀬)や華麗様式のピアノ・コンチェルト(小岩)の研究で成功できたのは、1970/80年代の研究者たちが処理・アップデートしきれなかった領域を機敏に見つけて食い込んだからだと思う。そういうのは、ごく普通の「学問というゲーム」のプレイだと思う。)

でも、タラスキンの京都賞講演や新聞のインタビュー記事と比較しながらチャールズ・ローゼン(北米の大学の音楽学コースでは主著が必読書になっているらしい)のざっくばらんなレクチャーを見ていて、思い当たったことがある。

ローゼンが7歳で最初に聞いたコンサートはトスカニーニとNBC交響楽団のベートーヴェンだったそうで、大学ではロジャー・セッションズなど1930年代以来の重鎮に学んだらしい。第一次大戦後に人とものが欧州から新大陸に大移動して、「世界システム」のヘゲモニーが合衆国に移転した時代を現在進行形で目の当たりにした世代なんですね。

ローゼンは、欧州の音楽・文化を「自分たちのもの」として語る。

北米に居ながらにしてトスカニーニやシェーンベルクやラフマニノフを聞くことができたこの世代には、欧州人より欧州的にものを考える「世界市民」の自意識があるんじゃないかと思うのです。

たぶん、こういう自意識が20世紀の「新体制」を支えたのだろうし、そのことへの抵抗・違和感が「ニュー・ミュージコロジー」というスローガンなのでしょう。

日本の「近代」の知識人は近代化と西洋化を混同しがちで、西洋化を近代化と混同する舶来信仰・ハイカラ趣味は日本の近代の恥部だ、みたいな自虐的日本批判(屈折した日本人論の変種)があるけれど、北米の知識人のなかにも近代化と西洋化の混同はあったし、第一次世界大戦後の北米が欧州に勝ったかのような世界情勢は、地球規模でその種の混同を助長したのではないか。

そして「ニュー・ミュージコロジー」というスローガンは、1960年代以後の北米知識人の「上の世代」への反発が、「上の世代」のロールモデルであったところの欧州への反発に転移してしまっているんじゃないか。

(だから、日本の文脈で、「戦後文化人」なるものへの反発とくっつけることができてしまうのではないか。)

でも、学説のアップデートと、その種のアンビヴァレントな「御家騒動」風の感情は、分けた方がいいと思うんですよね。

「ミュー・ミュージコロジー」なる運動は、「20世紀北米音楽文化論」(北米知識人たちの「御家騒動」)として語られるべき案件と、西欧芸術音楽論のアップデート(学説史)に分解したほうがいい。