グイード・ダレッツォと上原六四郎:理論と実践の間に分け入る人類学は、「学問vs批評」という政治談義とは別物です

「平均律」と訳されているバッハの Wohltemperiert (Well tempered) は物理学(音響学)や機械工学(楽器の改良)を導入して考案された equal temperament とは別物で、調的和声の音楽は、バロックから19世紀前半までと、19世紀後半以後(改良楽器の使用に積極的だったワーグナーやパリ音楽院以後)で基本システム(インフラ)が変わったと見るほうがいい。

管弦楽史や鍵盤音楽史の授業を何年かやって、古楽、ピリオドアプローチの実践を音楽史の記述に組み込もうとすると、そういう見取り図にならざるを得ないことがわかってきた。

岡田暁生という20世紀末の学者は近著で「とは何か?」と相変わらず大上段に構えて「クラシック音楽」を語ろうとしているが(笑)、

クラシック音楽とは何か

クラシック音楽とは何か

西欧の芸術音楽が、新しい知見によって、「既に」内側から組み変わりつつある(組み変わった形で把握され、実践されつつある)のが、清々しい21世紀の風景だと思います。

ピリオド楽器から迫るオーケストラ読本 (ONTOMO MOOK)

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西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

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岡田暁生がまだまともだった頃に書いた「西洋音楽史」では、グレゴリオ聖歌がほとんど民族音楽めいた異文化に思える、と書き出されているが、確かに、グレゴリオ聖歌への知的なアプローチ(グイード・ダレッツォ「ミクロロゴス」のように、思弁的・ギリシャ的なムシカをユダヤ教から続く教会聖歌の歌唱指導に導入するプロジェクト)は、日本の伝統音楽の明治以後の知的(近代的)な解析(上原六四郎「俗樂旋律考」にはじまる日本音階論)と似ている。

ただし、上原六四郎は equal temperament 以後の人(というより、equal temperamentに代表される19世紀の物理的・工学的な「音響」の科学を最新の知として学び、日本に導入しようとした物理学の人なのだから、日本における equal temperament の旗振り役と言うべきか)なので、12半音階という西欧の音楽の「物差し scale」を周波数で一意に定義するのと同じやり方で、日本の音楽に周波数で一意に定義できる「物差し scale」を見いだそうとした。

一方、グイード・ダレッツォがムシカというギリシャ流の数比論で一意に定義しようとした(そのほうが有益だと主張した)のは、scale(音階=物差し)ではなく、聖歌を歌う現場実践の mode (旋法=様相)ですね。

  • ambitus: 音域。その歌を歌うときの声の抑揚はどの程度の広がり・範囲を動くのか。
  • tenor: 主音というより保持音という意味だと思いますが、その歌はどのような調子で声を保てばいいのか。その周囲で声を動かすことになる歌の「幹」、声の張り具合はどのようなものなのか。
  • finalis: 終止。見事に声を張って(=tenor)歌われた歌をどのように歌い収めるのか。

おそらく neuma と呼ばれる身ぶりと対応づけて(=カイロノミー)口頭伝承されていたのであろう教会の歌唱指導の基礎概念は、どれも歌い手目線の実践的なもので、だから、modus 様相と呼ばれるのでしょう。

中世音楽研究会が出した『ミクロロゴス』日本語全訳の詳細な解説によると、グイード・ダレッツォが推奨したとされる「ドレミ(ut re mi)」の聖歌は、単に音名の暗記に便利というのではなく、聖歌のmodus のエッセンスが凝縮されているらしい。

グイードは、無数の聖歌を適切に歌い分ける歌唱ゲームの「効率的攻略法」を考案・伝授した人なのだと思います。

そして教会の歌のこのような様相(modus)は、世俗領域の調的和声の開発・発展の影響を受けながら、教会音楽の第一作法として18、19世紀まで伝承され続けたのだから、西欧芸術音楽は、グイード・ダレッツォの流儀で「うた」を攻略する歌唱ゲームを1000年続けていたことになる。

私には、「クラシック音楽」という近世・近代の新興ゲームは、(ちょうどコンピュータ・ゲームが遊びの広大な海に浮かぶ可愛らしい島に過ぎないように)「うた」の modus の上にちょこんとのっかっているように思えます。

物理学と対応づけられた scale に全能感を覚えるのは、現行のコンピュータの進化の先にAIが万能化する特異点(シンギュラリティ)が到来する、と信じるのと同じくらい滑稽ですしね(笑)。

ミクロログス(音楽小論): 全訳と解説

ミクロログス(音楽小論): 全訳と解説

ただし、中世聖歌の「modus という歌唱ゲーム」は、グレゴリオ聖歌を「まるで異文化だ」と突き放した上で考古学的な注意深さで発掘・復元しようとした20世紀の古楽 Early Music 運動が見いだした「新しい知見」でもある。

おそらく、日本の伝統音楽論も、同じようなコースをたどって考古学的にトラディショナルなゲームのルールを再発見しないとしかたがないのだと思うし、例えば、徳丸吉彦の三味線音楽論は間違いなく有望なマイルストーンだったと思うのだけれど、

音楽とはなにか―理論と現場の間から

音楽とはなにか―理論と現場の間から

徳丸先生の人生のまとめみたいな著作が、日本音楽学会の機関誌で、職業的な音楽人類学の視点から小姑の小言のようにチマチマと批判されたのは、人類学のダイナミズムからほど遠いくだらない出来事でしたね。

グイード・ダレッツォを参照点にすると、徳丸先生の本の副題が「理論と現場の間から」となっているのは実に示唆的だし、音楽研究はそのような「間」を探索してこそ実りある営みになると私は信じております。

第一に、分野は問わず「大学人が批評家を兼ねる」というのは、かなり「日本的な現象」であるという印象を私はもっている。逆に言えば、それが日本のアカデミズムの特徴を表している。第二に、しかしそれもすでに「過去の話」でしかない。良し悪しの判断はさておき、まずは事実認識を確認・共有したい。

この発言がなされるに至った文脈が部外者には具体的に見えないのですが、とりあえず、ここに読まれる文字の連なりは、

(1) 話者が学者であることを前提にしている

にもかかわらず、

(2) この文章は、日本の20世紀後半から21世紀初頭の「ある種の批評文」(批評空間とかゲンロンとかに見られるような)の語彙を用いて書かれている。

この文字の連なりは学問的発言なのか批評なのか? このような「ダブルバイン」で読者を戸惑わせるのは、小林秀雄から柄谷/東系統の「批評」(なんちゃってポストモダン)の亜流ですから、この文章に「批評的」に反応するとしたら、

「あらまあ、やっぱり吉田先生も批評をおやりになりたいんですね。」

とイヤミを言う、というようなことになるでしょうか。

そして一方、「学者」風に反応するとしたら、

例えば、北米にもリチャード・タラスキン(ロシア国民音楽における民謡の扱いの分析、というようなこのエントリーのここまでの話題とリンクする研究等もある)のように学者が批評を書く(ショスタコーヴィチの「証言」に関してはかなり積極的に発言していたらしい)というようなケースがある(あった)わけですけれど、これはどう捉えたらいいのでしょうか、と質問してみましょうか。北米の音楽ジャーナリズムは「日本的」な特徴を備えている(備えていた)、というすさまじい議論になるのでしょうか?

あるテーマ/分野/運動が新しい展開・シーンを開拓しようとするときには、学問と批評をリンクさせてエンパワーしたほうが有効であり、そのテーマ/分野/運動を社会・文化で安定的に稼働しようとするときには、学問と批評等々の分業を目指すほうがいい。それだけのことではないでしょうか?

そして「音楽」や「遊び」といった案件が「理論と現場の間」に焦点を合わせざるを得ないのは、「学問と批評」なる運動・政治談義ではなく、研究対象・研究領域の特質からそうならざるを得ない別の話だと私は考えています。

(「ファッション」というのは、プレタポルテの服飾デザインの「モード」のことですよね? ルドロジーの向こうを張って、モドロジーという領域横断的な学問を立てたくなるほど、当節の世の中では、mode/modus の取り扱いが混乱しております。)