大著が次々出る

ゼロ年代には学者が薄い書き下ろしの新書を量産したけれど、

(そして岡田暁生の本は単行本もこうした新書同様に一晩で読み切ることのできる分量・文体なわけだけれど、)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

最近は厚い本が目立つ気がする。

(それもあって、机の上に広いスペースがないと仕事がはかどらない。)

オペラの20世紀: 夢のまた夢へ

オペラの20世紀: 夢のまた夢へ

天才作曲家 大澤壽人

天才作曲家 大澤壽人

武満徹の電子音楽

武満徹の電子音楽

いわゆる「クラシック音楽」も同様に厚い本が出るようになった。

シューマン 全ピアノ作品の研究(上)

シューマン 全ピアノ作品の研究(上)

シューマン 全ピアノ作品の研究 下

シューマン 全ピアノ作品の研究 下

ベートーヴェン像再構築

ベートーヴェン像再構築

これもまた、ペラ紙の「書類」を「プレスリリース」して「イベント」の体裁を整える音楽ビジネス(そしてそのようなペラペラな紙の集積が口コミやインターネットに流される「情報」のソース・典拠であると見なされているのだから、このような営みの物理的な基盤は呆れるほど「薄い」、一昔前であれば「吹けば飛ぶような」と形容されたであろうように)への抵抗の形なのでしょうか。

一方、決定版的な大部の評伝の翻訳は時流と関係なく粛々と刊行されていて、

ショパン 孤高の創造者 人・作品・イメージ

ショパン 孤高の創造者 人・作品・イメージ

そのなかで、ショパンのこれは、日本語版の体裁は重厚だけれども、たぶん原著はむしろ薄くスピーディに読める本で、大著というより、最新の研究成果を見通しよくまとめた本と言うべきかと思いますが。