テレビ世代の口パクに対する特異な感受性について

ラジオとかテレビとか新聞とか、団塊ならびにそのジュニアの感性に縛られていてダルいよね。

ミュージカル映画の歌やダンスのシーンはトーキー初期からずっと口パクだし、アニメーションは歌だけでなく台詞も全部口パク(アフレコ)なのですが……。

むしろ映像コンテンツでは、音と絵を後付けで組み合わせるほうが常態で、音と絵の同時/同期収録のほうが後発で特殊なのではないかと思う。

音と絵の同時収録(かつ生放送)を前提にスタートして、これが常態なのは、テレビ放送(と同じ技術を使ったビデオ)だけではないか。そして「口パク」に違和感がある、という感性を持ちうるのは「テレビ世代」だけなのではないだろうか?

既に老人である団塊というテレビ世代は現在のこの島では各種言論の上得意客だから、この人達の感性を基準に言論を組み立てる、というのも、ありといえばあり、なのかもしれないけれど。

(アニメで育って「新人類」と呼ばれた世代がいましたが(笑)、今、かつての「新人類」の子どもたちの世代にとって「口パク」が当たり前なのだとしたら、それは、団塊ジュニア世代の60年代を反復するような数十年がようやく終わって、「新人類ジュニア」世代が動き出した、ということなんじゃないですかね。)

[追記]

そういえばテレビ放送(スタジオ外からの中継)でも、昭和の頃は、放送衛星を利用した外国からの中継「衛星中継」では映像と音声がズレるのが普通だった。

落雷時にピカと光ってから少し怒れてゴロゴロという音が聞こえることの連想なども相まって、声が遅れて届くところに、中継地との「距離」が現れている、という風に受け止められていたと記憶します。これもまた、映像と声の同期が常態で、両者のズレは特殊な状況だ、という枠組で捉えられていたわけだけれど、技術的に考えれば、たぶん、映像の受信と音声の送受信が同じしくみではなかったからそうなっただけのことだったのではなかったか。

あと、インターネットが世間に出回りはじめた90年代半ばに、坂本龍一が、ネット回線で地球をぐるりと一周して戻ってきた情報をディレイとして利用してパフォーマンスする、というのをやっていたけれど、音声のズレ/遅れに距離・遠さを知覚する、というのは、案外、ウソっぽいことなんだよね。