「新日本音楽」の現在(1) 崩壊と再生の混同

日本音楽が、中国文化圏のへりにある東アジアの一翼として西洋音楽に対する異文化として振る舞うのが往年の文化人類学風の相対主義段階だとすれば、西洋化と近代化を同時に推進した末に、もはや現在では、日本音楽の伝承者もまた西洋音楽の知識・体験・感性を前提として、近代化/西洋化された東アジアのクレオールとして振る舞っていると考えるのが、グローバルでポストコロニアルな段階にふさわしい認識だということになるのだろうと思われる。

「日本音楽」という言葉が文化相対主義的な他者を名指すために使われてきたのを踏まえて、そのような東アジアのクレオールは、大正から昭和初期の宮城道雄にはじまる試みをその先駆と見るような日本音楽史の組み替えを視野に収めつつ、「新日本音楽」と呼ぶのがいいかもしれない。

(昭和後期に大栗裕は宮城道雄の関西の弟子の一門と継続的に仕事をしているが、そうした大栗裕と「邦楽」との関わりを考えるときにも、こういう見取り図があると都合がいい。)

だが、そのような「新日本音楽」を「日本音楽」と区別する指標は、具体的にどのようなものになるだろうか?

三曲合奏のような近世邦楽の「リサイタル」を10年来毎年のように聞かせていただいており、近世邦楽を伝承する方々が「ドレミ」を前提とする音感で演奏することの是非、というのが、しばしば話題になりますが、私の感触では、もはやそのような議論は既にクリシェ、どのように対処するのが穏当なのか、それぞれの奏者が一定の対策を見いだしつつある現象だと思う。

私には、むしろ、西洋で言うところの「リズム」に相当するものが、最近の三曲合奏からくっきり聞こえてくること、そして、曲の「構成」を、まるで洋楽のようにダイナミックに組み立てる意識があるように聞こえることが気になります。

(「タタタン」というような短短長のリズムをひとまとまりの単位として演奏して、なおかつ、その出だしに強弱アクセントを付けると、箏や尺八でも「八分音符+八分音符+四分音符」の「二拍子」に聞こえるし、地歌の手事部分でギアチェンジするかのように意識的に基本のパルスを切り替えると、ABACAのような「鳴り響きつつ動く形式」が生成される。)

でも、この段階だと、単に「様式が崩れはじめている」ということに過ぎない。こういうのは、まだ「新日本音楽」ではないと思う。

21世紀の転換期の日本では、この種の制度や文化の「崩れ」を、来たるべき未來の兆候と誤認して、「本当の進化はこれから(ここから)はじまる」等々の煽り・プロパガンダが席巻したけれど(「パクリ」こそが「オリジナリティ神話」を解体する新時代のスタンダードである、みたいな物言いもそのたぐいだろう)、でも、たぶんそれは、生産的な未來というより、先のない袋小路の可能性が高そうに思う。