「新日本音楽」の現在(2) 弾き語りという袋小路

安田寛が「仰げば尊し」の原曲を発見した際、ヘルマン・ゴチェフスキーが原曲に合唱特有の音の動きがあることを分析的に指摘したが、西欧の音楽理論は、ことほどさように、複数の音をどのように組み合わせるか、他の音との関係をどのように取り結ぶか、の理論・作法の集積だと、ひとまず言えるのではないかと思う。

そして合唱のひとつのパートが「仰げば尊し」という唱歌になった過程は、ヨーロッパのポリフォニーの文化が、日本というモノフォニーもしくはヘテロフォニーの文化と接触して変容した「文化触変」の好例に見える。

中世以来、教会音楽が理論のメイン・フィールドだったのは、ユダヤ教伝来の単声の唱え・祈り・うたを、どのように「複数の音の組み合わせ理論」に取り込むか、というのが問題であり続けた、ということなのだと思います。

近代の西欧音楽では「分業」が徹底していて、作曲家と演奏家が分かれているし、声楽であっても、声と楽器を別の奏者が担当するけれど、「複数の音の組み合わせ」として音楽を実装する作法には、おそらく、資本主義・産業革命のような近代化の潮流としての分業(マルクスが着目したような)とは別の由来があるんじゃないかと思います。

そしておそらく、そのような文化の作法が支配的であったからこそ、「弾き語り」が特異点として問題になる。典型的には、叙事詩人・ラプソーデが西欧文明のもはや手の届かない「起源」みたいに位置づけられてしまうわけですね。

(フランツ・リストが声とピアノの「分業」を特徴とするシューベルトやシューマンのドイツ歌曲をピアノに編曲したのは、「言葉のない弾き語り」だったわけだから、いかにもロマン主義的な挑発行動だと言えそうに思うし、そう考えれば、リストが「ジプシー音楽」/ラプソディにたどりついたのは偶然ではないと思えてくる。)

ただし、東アジアの文脈では、ヘテロフォニーと弾き語りの関係はややこしい。

東アジアにも「音楽理論」=「複数の音の組み合わせ」の作法が古代から存在することが知られている。そして中国から周辺の文化圏に伝播した宮廷音楽のような「分業」を基本とする合奏形態がある。日本のいわゆる雅楽は舞と音楽が分かれているし、楽師たちは、それぞれの楽器をそれぞれの「家」で分担して伝承しているのだから、「分業」の極みですよね。

中世・近世の芸能も、能から浄瑠璃、歌舞伎に系譜のように、直接間接に大陸との関わりを想定しないと起源や発展を説明できなさそうなジャンルは「分業」が基本になっている。

「ヘテロフォニー」は、演奏形態としての「分業」が確立・徹底しているからこそ、特異な現象として際立つわけですね。「分業」しているはずなのに、そこに鳴り響く複数の音はポリフォニックに分散することなく、同じ流れに乗っている。だからヘテロフォニーだと言われるわけです。

そして琵琶から三味線に至る「語り物」の弾き語りは、逆の方向からヘテロフォニーにたどり着く。一人で歌い、語っているにもかかわらず、声と楽器がズレて、ばらけて、音が散らばる。その匙加減に賭けたのが近世邦楽だったということになると思います。

最近、ドイツ歌曲の弾き語りとか、邦楽奏者による西洋流の発声による弾き語りとかのパフォーマンスを見かけるのですが、こうした合奏/分業とポリフォニー・ヘテロフォニーの見取り図を参照すると、これはどこにマッピングしたらいい現象なのでしょうか?

西欧の合唱音楽のひとつのパートが「仰げば尊し」に変容した、というのは、わかりやすいクレオールだけれど、多種多様なジャンルを「弾き語り」のフォーマットに収めてしまうのは、その先に出口が見えない行き止まりではないだろうか?