Truth in Fantasy

ゲーム関連のシリーズで既に10年以上前にこういう本が出ていたのか、なるほどなあと思う。

吟遊詩人 (Truth In Fantasy)

吟遊詩人 (Truth In Fantasy)

中世の写本(騎士歌人たちの詩とネウマ譜がトロヴァドゥールの伝記や注記を添えて伝承されている、というのは日本の歌物語と似ていて興味深い)から史実として言えることはかぎられていて、その後の想像力がリチャード獅子心王の物語やヴァルトブルクの歌合戦のタンホイザーを生み出しているプロセス全体を見ようとすると、ロマン主義文学やワーグナーのさらに先、現代のビデオ・ゲームまで視界が広がるはずだ、ということでしょうか。

中世フランスのカペー家とアキテーヌ家の関係はなんとなく源平合戦風で、負けたアキテーヌ家の繁栄の記憶が詩と歌として伝承された、というのは平家物語みたいでもある。

騎士歌人の詩歌は「恋愛文学」の起源と言えるか言えないか、という話を小谷野敦がやっていたけれど、もっと広がりのある切り口で騎士歌人を捉えることができるんですね。

さらに踏み込んで、詩・歌の読み方、聴き方が具体的に変わるかもしれないところまで議論を研ぎ澄まさないといけないのでしょうけれど。

教養主義と劇場:1870年代「交響曲の復権」はたぶん一枚岩ではない

通年でやっている管弦楽史でワーグナーが終わって、そろそろチャイコフスキー、ドヴォルザーク、つまりは、ブラームス(交響曲第1番が1876年)にはじまる後期ロマン派の「交響曲復権」を取り上げなければならないのだけれど、ここで、ブルックナーのワーグナー崇拝のみならず、他の「交響曲復権」の立役者であるところのチャイコフスキーもドヴォルザークも、若い頃はワーグナーの影響が強く(=チャイコフスキー「白鳥の湖」やドヴォルザークの初期交響曲)、劇場と関わりが深いことに思い至る(チャイコフスキーが官僚時代からペテルブルクの劇場に入り浸っていたり、ドヴォルザークがスメタナ率いる仮説劇場のヴィオラ奏者だったり)。

彼らが「交響曲の人」になるのは、彼ら自身の選択というより、ドヴォルザークにとってのブラームス、チャイコフスキーにとってのルビンステイン兄弟のように、どこかしら父権的に彼らをシンフォニーに誘導する人物がいたんですよね。

こういう事態の政治的な含意は、フランスのドビュッシー、ラヴェルの「印象派」モダニズムに先行するサン=サーンスの国民音楽協会がヒントになると思う。サン=サーンスの呼びかけに音楽家たちが結集したのは、フランスでは、シンフォニーと室内楽が第三共和政の「市民の音楽」として、教会や王党派に対抗する軸になっていたように見える。

劇場はブルボン王朝のアンシャン・レジーム以来の王のレプリゼンテーションだと言えるだろうし、ワーグナーがドレスデンやバイエルンの国王に接近したのに対して、ブラームスはウィーンの教養市民(楽友協会やフィルハーモニーの会員であるような)に支えられていた。

ベートーヴェンを神棚に祭ってシンフォニーをコンサートで鳴り響かせることは音楽における友愛の表現で、共和主義がまだ十分意は確立していなかった時代には、教会や宮廷への抵抗、第三の軸として機能した、ということなのだろうと思います。

でも、東欧・ロシアを視野に入れると、それほど話はすっきりしなさそうなんですよね。

ソ連の社会主義史観だと、ルビンステイン兄弟は皇帝に取り入るブルジョワ欧化主義者で、五人組こそが民衆プロレタリアートの側に立つ民族主義なのかもしれないけれど、皇帝の周囲にいたルビンステイン兄弟はドイツ系ユダヤ人で、バレエを統括したマリウス・プティパはフランス人で、むしろ、皇帝の欧化主義のほうが「インターナショナル」かもしれない。

(フランス音楽で第三共和政の守護者としてのサン=サーンスが最近急速に復権しているように、ロシア音楽の研究者が「政治的に正しいアントン・ルビンステイン評伝」で彼を再評価することは十分にあり得そうに思います。)

一方、五人組やチャイコフスキーのようなインテリゲンチャは土地所有貴族だったり軍人貴族で、五人組は、ちょうどワーグナーが北欧・ゲルマン神話を(ギリシャ・ローマ神話に依拠するイタリア・フランスのオペラに対抗して)楽劇で輝かせようとしたように、「イーゴリ公」や「ボリス・ゴドノフ」でロシアの王権を音楽劇にしているのだから、ナショナリストというより封建的な排外主義という感じがします。

ドヴォルザークも、ウィーンで「インターナショナルなドイツの交響楽」をやろうとしたけれども色々苦労して、ロンドンやニューヨークでの経験を経て、そういうブラームスの路線に見切りを付けて、晩年は、オペラと交響詩の人になりますよね。

フランスやドイツにはシンフォニーが共和政や市民的教養のシンボルになる文脈があったけれど、ボヘミアやロシアでは、「そんな遠い未来の理想論よりも、自分たちの王をもり立てるほうが早道だ」、そういう政治的選択のほうが有効に思えた、そしてそのような選択においては、シンフォニー・コンサートよりも劇場・音楽劇(王に直結するような)が制度上の支えになった、ということではないかという気がします。

チャイコフスキーやドヴォルザークのシンフォニーが通俗的とみなされるのは、彼らが書斎の教養主義でシンフォニーを思索(詩作)するのではなく、劇場(的な感性・詩学)に依拠して管弦楽を取り扱ったからではないか、そしてそれは、美学・趣味判断である以上に(であると同時に)政治的選択だったのではないか、という気がするのです。

19世紀後半の複雑なヨーロッパの情勢を考えると、「交響曲の復権」という言い方でブラームスやサン=サーンスとチャイコフスキーやドヴォルザークやブルックナーを一緒くたにしたり、ブラームスもワーグナーもまとめて「音楽の国ドイツ」と言ってしまうと(吉田寛先生がそういう雑な議論をしているということではないけれど、そういう感じに「音楽の国ドイツ」の語がむしろ安易に使われつつある風潮がありますよね?)、あるいは、クラシック音楽=教養主義みたいな知識社会学風の政治的に漂白された概念ばかりを流通させると、むしろ、19世紀後半のダイナミズムが見えなくなるのではないかという気がしております。

言説史の彼岸

大栗裕の自筆譜研究や大阪の祭り囃子の調査、遺品として残された録音の解析をこれまでやってきて、それはつまり、西欧流音楽学、民族音楽学(比較音楽学)、ポピュラー音楽の基礎にもなりそうなニューメディア論を参照しながら大栗裕にアプローチしてきたことになるかと思う。

大栗裕を素材にして、近現代の音楽研究の方法をひとつずつ実際に使いながらおさらいをしているようなものです。

今度は「大阪のバルトーク」というキャッチフレーズについて、最近流行りの言説史をやろうと思って話を組み立ててみたのだが、でも、どうやらこれは独立した話にはなりそうにない。テクストのアーカイヴが自律的にうごめいて、書かれたものの「セカイ」が我々をとりまいており、「私」という存在、「ネイション」(「音楽の国」なる反措定を含む)等の観念は、そのような「セカイ」を「読む」行為によって再帰的に立ち上げられる。このような「失われた20年」に大流行したテクスト論、ディスクール論のアイデンティティ・ポリティクスを大栗裕に適用しても、大して面白い結果は出そうにない。

「大阪のバルトーク」論は大栗裕の管弦楽作品を通時的に見るときの「前段」という位置づけが順当だと思われ、「大阪のバルトーク」論を突き抜けた先で、声と言葉に結びついた作品、広義の劇音楽との関係を見極める、というところまで行かないと、どうやら、ポジティヴな議論にはならなそうだとわかってきた。

2008年に大栗裕を調べはじめたときから、大栗裕は「大阪のバルトーク」ではない、と根拠を添えて言えるところまで進もうと秘かに目標にしていたのですが、10年かけて、ようやく作業は半ばですね。

まあ、「研究」というのはそういうものか。

「セカイ」を「読む」ことが人文学だ(「書かれたものしか信じない」)と言い放ってキラキラ輝いていた人たち(彼らの輝きの正体は、実は「コトバのチカラ」ではなく、匿名掲示板とブログからSNSに推移した情報社会のコミュニケーション・ツールのアウラに過ぎなかったのではないかという疑いもある)が軒並み劣化していくご時世までこうして生き延びることができた巡り合わせを幸いであったと思うことにします。

クラシック音楽とは何か

クラシック音楽とは何か

一方、伊東信宏さんは、なんだか相変わらずお元気ですね。岡田暁生が憧れていたのであろう近代主義者たち、音楽好きの丸山真男や、実際に音楽の道に進んだ東大生たち、柴田南雄や吉田秀和を通り越して、近刊の装丁は日本の洋楽評論の草分け、大田黒元雄の『露西亜舞踊』みたいになっている。

東欧音楽綺譚

東欧音楽綺譚

オペラあってのオーケストラ

高校生の頃、大阪フィルに入った吹奏楽部の先輩が「今はオペラに興味がある」と言って、家に行くとずっとオペラのLPをかけていた。1983年、朝比奈隆が関西歌劇団のオペラから手を引く前後の頃だと思う。

それまでずっと関西歌劇団のオペラ公演は大阪フィルがピットに入っていたわけだが、当時20代だった若手奏者がもう60過ぎですから、そろそろ大阪フィルには、オペラやバレエのピットで定期的に弾いていた時代を知っている奏者がいなくなる、ということですね。

朝比奈隆は、関西でオペラやバレエをやるためにオーケストラを作った、と見て良いと思いますが(そしてシンフォニーの指揮者としては最後までいまいち信用されていなかったわけですが)、兵庫芸文の佐渡裕のチームも、年1回のオペラをやるために(自前でオペラをやって採算がとれるようにするために)ユース・オケを作ったんだと思う。

滋賀では、沼尻竜典がワーグナーで京響、モーツァルトで日本センチュリーというように上手くオケを使い分けながら「劇場を回している」と言える状態になっていると思う。

一方、大阪には劇場がない。

朝日新聞社に劇的な社内革命が起きて、フェスティバルホールが本格的なオペラ・音楽劇経営に乗り出す、というようなことでも起きないかぎり、大阪はしばらく沈んだままなんでしょうね。

(京都のローム・シアターをみていても、この種の多目的ホールが音楽劇を経営の軸に据える、というのは、さすがにちょっと難しそうだし。)

大阪に万博誘致を目指すんだったら、そこにのっかって、万博記念劇場構想をぶちあげる、そういうパワフルな文化人がいたら面白いかもしれませんが、誰かそういうことができそうな人、いますかね。

千人の交響曲の「演出」

びわ湖ホールが開館20周年記念公演で千人の交響曲を取り上げて、

(1) カトリック典礼文による第1部を「序曲」風に純音楽的にまとめて、ファウスト終幕による第2部を所作と衣装のない音楽劇(オラトリオ風の)として盛り上げる。(だから、客席奥のバンダのブラスが、ほぼ同じ音楽なのだけれども、第Ⅰ部の最後はさらっとイン・テンポで、第2部の最後はもったいぶってグランディオーソになる。)

(2) そしてその第2部のクライマックスでは、舞台上に「ルル」他の福井敬と、「死の都」他の砂川涼子がいて、バルコニー席には「ばらの騎士」他の幸田浩子がいる。

こういう公演に立ち会うと、結局、歌劇場を11年間切り盛りした指揮者のほうが、演出家として、どの職業演出家よりも圧倒的に優れている、ということになってしまいそうなのですが、いいのでしょうか? 

歌劇場での公演だからこそ意味があるやり方でマーラーに取り組んでいるわけだから、九州や名古屋や東京(私が魔笛を見に行った日に池袋でやっていたらしい)での同じ曲の公演ではマネできないだろうし、本来であれば台風直撃で公演中止になるところで(JRが当日運休するであろうことは前日、前々日からほぼわかっていた)、公演日前倒しというアクロバットを思いついて各方面に働きかけたのも指揮者沼尻竜典だったらしい。

コンヴィチュニーであれケントリッジであれ、歌劇場での演出/歌劇場の演出で実績をあげている人たちは、こういうタイプの仕事をしていると思う。

沼尻竜典・びわ湖ホールの千人の交響曲は、オペラのベスト・オブ・イヤーみたいな賞の有力候補になってもいいんじゃないか。

緻密に組まれたスケジュールに乗ってコンサートライフを送っていると聞き逃してしまう公演ですけどね。

ゴールを見失った演出、好発進だったのに

びわ湖ホールの「魔笛」は既に日生劇場でやったプロダクションだそうなので、今さら演出について何か言っても仕方がないかもしれませんが、前半はほぼ完璧と思えるくらい周到にひとつひとつのシーンを作り込んでいたのに、後半でそれらのアイデアがほとんど活かされることなく、ごく普通の結末に着地したので、がっかりした。(清掃人のアンチャンたちも3人のアマデウスも、後半は大して活躍しない。あれでは無駄遣いと言われてしまうと思う。)

昨年の関西二期会の「魔弾の射手」も似たような竜頭蛇尾の演出だったけれど、ドイツで勉強して帰ってきた意欲的なオペラ演出家がゴールを見失ってしまうのは、何か構造的な問題、症状なのでしょうか?

今の日本のオペラ制作では、演出家には目新しい「設定」を考えることだけが期待されていて、ドラマ本体はルーティーンに手を付けることが認められていない。最後は「音楽の力」なるものに主導権が移る。どうも、そういうことになっているように見えます。

ジングシュピール/オペラ・コミックは前半に台詞芝居が多くて、後半は台詞と歌がシンプルに交替するだけになる傾向がありますが、そうなったときに演出のほうも前半とは戦術を切り替える必要があるのではないか。そのときの「攻め手」を演出家が用意していないと、こういう風に惰性で進むことになってしまうのかもしれませんね。

あと、オペラ演出家が会議や稽古で長期間つきあうことになる「関係者(歌手もそこに含まれるかもしれない)」の大半は、ザラストロの教団のおっさんたちみたいな「可愛いオトナ」かもしれないけれど、本番でどの歌手よりも早くスタンバイして、最後まで板付きで持ち場に留まるオーケストラピットの人たちは、別のモラルと時間軸で舞台に関わっているような気がします。そういうのを含めての劇場なのではないだろうか。

作品の「世界観(物語の設定・舞台美術に落とし込まれるような)」を決めるのとは別に、ドラマの進行における言葉と声と音楽の関係(の変化・推移)を察知して、立ち位置を選択していくことも、演出の領分ではないかと思う。「世界観」を決めただけでオペラを「見切った」と思うのは、まだ早い。そのような態度でオペラにアプローチするのは、やはり、かなりマズいのではないでしょうか。

(少し前にはじまった新国立劇場のケントリッジの魔笛で「音楽」が映像とほとんど絡まないルーティーンになっていたのは、これとは事情が違って、ケントリッジのオペラ制作にいつもくっついて来ることになっているらしい「演出補佐」が、ケントリッジのアイデアをオペラとして実装するには力不足なんだろうと思う。)

リアリズムの条件:オペラの20世紀/テレビの20世紀とのつきあい方

一連のエントリーで考えたことは、リアリズムといっても文学(自然主義)と演劇(いわゆる新劇)と放送(実況中継)は、互いにリンクしているけれど存立条件が違っている、ということかと思う。

19世紀に隆盛を誇ったオペラ劇場が20世紀に凋落したときのてこ入れ策が色々あって、20世紀のオペラには自然主義文学も新劇もテレビ・放送・ビデオ映像も全部試みられて、でも、まるでスペクトル解析のように、オペラに入ってくると「リアリズム」といっても文学の影響、新劇の影響、テレビ・放送・ビデオの影響は、全部現れ方が違っている。

ひとつのジャンルが凋落する様子が「社会を映す鏡」になることがあるようですね。

テレビの凋落(それに付随する各種芸能の凋落)に付き従って、そこに「研究」の素材を見つけようとする人たちが21世紀にはたくさん出てきそうな気配だけれど、「オペラの20世紀」との息の長いつきあい方が、何かの参考になるかもしれないね。

オペラの20世紀: 夢のまた夢へ

オペラの20世紀: 夢のまた夢へ

読み替え演出のパントマイム的な演技

オペラの読み替え演出は言葉(歌詞)が指し示すのとは別の物語が進行するわけで、そういう舞台を見て何がどのように読み替えられているのか観客が受信できるのは、言葉なしに所作(と舞台美術)からドラマを読み取っているからだと思う。所作(と舞台美術)が、言葉を消してもドラマを成立させているわけで、読み替え演出の演技はパントマイムのような受け止められ方をしていることになる。

(そして演劇史的には、オペラの読み替え演出が、「言葉の演劇」に対する20世紀の反発、という系譜に連なっているということだろうと思う。)

……というところまでは、少し前に考えていて、この話をうまく展開していくことができないものかと思っていたのだけれど、

私たちは、このようなパントマイムが、言葉(や歌や音楽)と同期していなかったり、予期せぬ回路でリンクしてしまったりする様を楽しんでいるわけだから、ひょっとすると、読み替え演出の舞台は、全体として、「口パク」に近い何かになっているのかもしれない。

言葉と歌と音楽(とドラマ)が同期していないことに苛立つ人もいるけれど、通常の上演(それらを何とか同期させようとするような)を知らないお客さんは、むしろ、「読み替え」を何の抵抗もなく楽しむことが多いと言われている。

それと関連するかもしれないし、別の話かもしれないけれど、

舞台上の演者の言葉(台詞)と芝居が同期・シンクロするリアリズムは、舞台パフォーマンスとしても、むしろ、後発ですよね。

古代ギリシャでも、コロスや口上は演者自身の言葉として受け止められただろうけれど、ドラマがはじまると演者は仮面を付けたわけだから、仮面の背後で「口パク」しているようなものかもしれない。

日本の仮面劇である舞楽や能と、仮面をつけない狂言は、どうやら別の由来と文脈で展開してきた可能性があるようだし、演者が台詞を語る(=演技と台詞が同期する)歌舞伎には人形浄瑠璃が先行している。

それに、韻文の演劇(旧来演劇とはそういうものだった)や歌う演劇(オペラですね)においては、はたして、特有のリズムで進行する台詞や歌が、役者の演技・所作とシンクロしていると言えるのか。どうやら、そうではないような気がします。

視覚情報と聴覚情報、音と身体が同期している状態というのは、むしろ、そっちのほうが無数の約束事の上に成り立つ人工的なパフォーマンスなのではなかろうか。

(かつての劇場は暗くて、語ったり、歌ったりする演者の口元は、仮面のない素面だったとしても、観客からよく見える状態ではなかっただろうし。)

言語中心主義への批判をキリスト教批判として展開する、というクリシェがあるけれど、世俗領域で、演劇・ドラマにおける現前の再検討として展開するほうが、むしろ問題を整理しやすくなるかもしれませんね。事実、ドラマや現前の問題は、映画という20世紀のニューメディアの研究が色々な成果を出しつつあるわけだし。

テレビ世代の口パクに対する特異な感受性について

ラジオとかテレビとか新聞とか、団塊ならびにそのジュニアの感性に縛られていてダルいよね。

ミュージカル映画の歌やダンスのシーンはトーキー初期からずっと口パクだし、アニメーションは歌だけでなく台詞も全部口パク(アフレコ)なのですが……。

むしろ映像コンテンツでは、音と絵を後付けで組み合わせるほうが常態で、音と絵の同時/同期収録のほうが後発で特殊なのではないかと思う。

音と絵の同時収録(かつ生放送)を前提にスタートして、これが常態なのは、テレビ放送(と同じ技術を使ったビデオ)だけではないか。そして「口パク」に違和感がある、という感性を持ちうるのは「テレビ世代」だけなのではないだろうか?

既に老人である団塊というテレビ世代は現在のこの島では各種言論の上得意客だから、この人達の感性を基準に言論を組み立てる、というのも、ありといえばあり、なのかもしれないけれど。

(アニメで育って「新人類」と呼ばれた世代がいましたが(笑)、今、かつての「新人類」の子どもたちの世代にとって「口パク」が当たり前なのだとしたら、それは、団塊ジュニア世代の60年代を反復するような数十年がようやく終わって、「新人類ジュニア」世代が動き出した、ということなんじゃないですかね。)

[追記]

そういえばテレビ放送(スタジオ外からの中継)でも、昭和の頃は、放送衛星を利用した外国からの中継「衛星中継」では映像と音声がズレるのが普通だった。

落雷時にピカと光ってから少し怒れてゴロゴロという音が聞こえることの連想なども相まって、声が遅れて届くところに、中継地との「距離」が現れている、という風に受け止められていたと記憶します。これもまた、映像と声の同期が常態で、両者のズレは特殊な状況だ、という枠組で捉えられていたわけだけれど、技術的に考えれば、たぶん、映像の受信と音声の送受信が同じしくみではなかったからそうなっただけのことだったのではなかったか。

あと、インターネットが世間に出回りはじめた90年代半ばに、坂本龍一が、ネット回線で地球をぐるりと一周して戻ってきた情報をディレイとして利用してパフォーマンスする、というのをやっていたけれど、音声のズレ/遅れに距離・遠さを知覚する、というのは、案外、ウソっぽいことなんだよね。

フェアネスの実践:「相互補完的なヒエラルキー」の成立条件

長木誠司『オペラの20世紀』のケージ「ユーロペラ」を論じた節、625-626頁には、増田聡『その音楽の〈作者〉とは誰か?』で展開された「近代美学」批判に対する批判的な読解が含まれている。(初出は、未確認ですが『レコード芸術』の連載だと思われます。)

「作者」として名前が出ることのない演奏者たちは必ずしも作者の「犠牲になっている」わけではない、という長木誠司の主張を受け入れるかどうか、鍵となるのは、ヒエラルキーの下位が上位の「犠牲になる」わけではない「相互補完的なヒエラルキー」という観察モデルを認めるか否かだろう。

フェアな作法でなされた問題提起だと思う。(この大著自体が、よくぞこの課題をこういう態度で書ききったものだと感嘆する。)

増田聡本人であれ第三者であれ、この件に関心をもち、何らかのリアクションを言葉にしたいと思う人は、私の知ったことではないので、私のこのエントリーとは関係なく、長木さんの著作を読んだうえで、長木さんの著作へのリアクションとして当事者間で進めて下さい。

オペラの20世紀: 夢のまた夢へ

オペラの20世紀: 夢のまた夢へ