2016-07-23から1日間の記事一覧

芸術という規範はポピュラー音楽を虐げてきたのか?

前の記事の続きです。90年代にポピュラー音楽研究の旗を掲げた人たちは、ちょうど60年代に民族音楽学を立ち上げた人たちがそうだったように、音楽研究は西洋芸術音楽のことしか眼中になく狭量である、門戸を開け、と、やたらに攻撃していたわけだが、学問の…

ロックと演劇:芸術雑誌のなかのロックンロール

芸術新潮は当初からミュージカル・コメディを演劇の枠で扱っている。オペラは音楽だが、ミュージカルは演劇、ということである。この島での慣習に従えば、まあ、そういうことになるでしょうか。そうして1973年には、劇団四季による「ロックオペラ イエス・キ…

オペラ演出の1973年世代:芸術新潮で三谷礼二を推したのは誰なのでしょう?

芸術新潮1974年7月号の短信欄に、三谷礼二の演出による関西歌劇団「蝶々夫人」の評が写真入りで出ている。関西歌劇団の歩みのなかでの三谷礼二の取り組みの意味、東京公演が松竹との確執の煽りで実現しなかった1954年の武智鉄二演出との関係など、押尾さんが…

ベートーヴェンと石田純一

前の記事の補足だが、ベートーヴェンがナポレオンに交響曲を献呈する計画を立てて、あとでそれを撤回したのは、「音楽による政治」というようなことではないと思う。実際にそれをやったらどうなるか、可能性をおそらく具体的に水面下で探っていたのだろうけ…

音楽のTPOと政治談義のTPO

増田は、いつどこでどういう音・音楽を鳴らすかということは常に潜在的・顕在的に政治的であり得る、というTPOの話をして、辻田は、今では政治的背景に思いを馳せることなく享受されている音・音楽のコンテンツが成立時には特定の政治的文脈に置かれていた、…

古代史ブームと芸術新潮

1973年の芸術新潮は、判型とページ数は従来とほぼ同じだが、写真がきれいに印刷できるツルツルの紙に変わって、分厚く重たい雑誌になる。そして巻頭グラビアは、古代史ブームの立役者、邪馬台国の松本清張と騎馬民族征服王朝説の江上波夫の対談で、天皇陵を…

後始末

吉田秀和が20世紀音楽研究所の所長という肩書きで現代音楽祭をやった、とか、『音楽紀行』で1953/54年当時の欧米の現代音楽事情が詳細にレポートされている、とか、というのは、1960年代に生まれた私たちにとってはもはや伝説のようなもので、物心ついた1970…

過保護

SEALDsの人や津田大介は、「ネット上の批判」なるものなどどこ吹く風で、イベントに出演する意志を変えた形跡はないわけだから、これは「ネット上」の言論が「ネット外」に影響を及ぼしそうにないケースなわけで、「音楽と政治」なる議論は、出火していない…