おおさか、夏祭り(あわせて、大栗裕「大阪俗謡による幻想曲」のだんじり囃子のこと)

[7/28 後半を断続的に書き足しております。]

大阪の夏祭りは、新暦でも暦の日付のままなので、毎年ちょうど梅雨明けの時期とぶつかる7/12の生國魂神社から月末の住吉大社まで、7月に相次いで行われる、そういうことになっているそうです。

(一方、京都の送り火や六斎念仏は新暦の8月。明治政府が新暦に移行したときに、大阪の夏祭りは一斉に新暦の日付に移行しましたが、京都の行事は必ずしもそうではありませんでした。そういう違いがあったようです。

また、大阪の夏祭りに仏教色は希薄ですが、京都は廃仏毀釈を乗り越えて神仏習合の名残を留める行事が今もあるようです。こうした天子様が東京へお移りになったあとの京都との違いを考え合わせると、幕府直轄からお城に陸軍師団が駐屯する「基地の町」に変わって、運河に次々鉄橋が敷設された明治大阪がはたして「民都」だったのか。「大阪は民間で保っている」というイメージが喧伝されたのは実はもう少しあとになってからなのではないか、という気もするのですが、それはまた別の話。)

京都の夏祭りと民俗信仰

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八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)

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↑本題の終戦記念日問題に関連して、近代になってからのお盆行事の略史が参考になります。
「民都」大阪対「帝都」東京 (講談社選書メチエ)

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↑ご存じ、いわゆる「テツ」の感性をベースにして、「民都」「団地」と次々キャッチーなお話を作り上げる人。

ここ3年ほど、夏になるとあちこち歩き回っておりまして、今年は、そんなさなかに、文楽「夏祭浪花鑑」を観てきました。

勘三郎さんがニューヨークで公演した歌舞伎でも知られている演目ですね。

中村勘九郎 平成中村座ニューヨーク公演「夏祭浪花鑑」完全密着 [DVD]

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[あわせて、後半で大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」のだんじり囃子のことも書いています。]

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丹念に見て行きますと、大阪のあちらこちらで、地車が出たり、枕太鼓や催太鼓が出たり……。あるいは、獅子舞が出て、「大阪俗謡による幻想曲」のピッコロのメロディーのもとになったお囃子を、それぞれの神社に氏子の皆さんが奉納していらっしゃるようです。

たとえば、大フィルが星空コンサートをやっている西の丸庭園のすぐ近くとか。ザ・フェニックスホールから大きな通りを渡ったビルの谷間とか。あるいは、今年で50回を迎えた「3000人の吹奏楽」(今でも大栗裕作曲の「3000人の吹奏楽の歌」が毎年歌われている)の会場、大阪ドームのご近所とか……。

具体的な場所などは、本当に関心やそこへ行く理由のある方がご自身で見つけていただければと思いますが、

とりあえず「夏祭浪花鑑」は、高津宮(国立文楽劇場から少し東へ行ったあたりにある)の夏祭り(もちろん現在も行われています)の夜、団七が長町(現在の国立文楽会館の南のほう)の泥池で舅を殺してしまう、長町裏の段が有名なクライマックス。

下座でだんじり囃子が断続的に鳴って、現行の舞台では、遠くに御神燈を掲げた櫓(だいがく)が通るのが見えるなかでの殺しの場になっているのですね。

平成中村座のニューヨーク公演では、最後にテント小屋の後方がぱっと開いて、本当のニューヨークの町に男二人が全力で走り去る演出になっていましたが、

今の季節の暑い暑い大阪で、あっちこっちで、だんじり囃子が耳に擦り込まれた状態で観ると、普通にやっても、舞台と現実の境目が曖昧になるようでした。

お祭りは、当然ですが野外ですから、行けば、カンカン照りの太陽とか、梅雨が明けたばかりのねっとりした湿気とか、そういう強烈な空気感があって、そこにお囃子の音と、華やかな装束があって、境内にひしめく地元の人たちの会話が漏れ聞こえてきて……。

ものすごく当たり前のことを書いているような気もしますが、

音の周りにそういう記憶がびっしりまとわりついているのが、祭り囃子というものなのだということを、ここ数年、少しずつ実地で学ばせていただいております。

(追記:当たり前ついでにもう一つ書けば、境内をびっしり人が埋めるお祭りのあとで最寄りの公共交通機関、地下鉄などの駅へ行きますと、たいていガランとして誰もいません。阪急電車が、神戸線や宝塚線までもが「ファッションゆかた」姿の若い子たちで一杯になる祇園祭の宵山とは大違い。

関西の私鉄はメジャーな寺社の最寄りに駅を作って乗客数を稼いでいるとされるわけですが、そんな風に広域から人を集めるのではなく、歩いて通える「地元」の賑わいで成り立っているお祭りが、ドーナツ化で人が住まなくなったと言われている大阪市内に実はいくつもある、ということです。

鉄道・観光といった近代ビジネスに乗らない現象は存在しないも同然であることになっていて、だから、「都市のドーナツ化」というような言葉は、もしかすると、都市が空洞化しているというよりも、近代ビジネスに乗らないから、実際にはそこに今も人がいるのにゼロとカウントされているだけなのかも……。

もちろん、ビジネスや広域メディアに何でもかんでも乗せたほうがいいとは限りませんし、私は当事者であるわけでもないので、そういうものなのだなあ、と思うことしかできませんが。)


↑大阪のど真ん中での神事ですが、どこだかわかりますか?

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[追記]

もう少し、だんじり囃子のリズムについて。

大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」では、私が論文であれこれ書いた獅子舞囃子よりも、むしろ最初の、だんじり囃子の方が印象的であろうかと思います。大型のチャンチキを実際に舞台で派手に鳴らしますから。

ただ、大栗裕の指定したリズムがどうしてこうなのか、よくわからないのです。

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大阪のだんじり囃子は、しばしば、大阪手打ちと呼ばれるものとセットになっていることが多いようです。「う[打]ちまァ〜しょ(パンパン)」「もひとつ[もう一つ]せ(パンパン)」「いおうて[祝って]三度(パパンパン)」のかけ声に合わせて一同が手拍子(括弧内)を打って、引き続きだんじり囃子に入るという段取りです。

(手打ちの回数、リズムなどが、神社によって少しずつ違ったりするようなのですが、それは、ここでは置いておきます。)

音符が手打ち&鉦のリズムです。

お祭りごとにかけ声や手拍子のタイミングが少しずつ違うようなのであくまで一例ですが、こういうタイミングでだんじり囃子がはじまる場合、かけ声と手打ちのビートの流れに続けてだんじりを聴くと、「いおうて 三度」のかけ声が「1、2」とビートを刻んで、手拍子&鉦が、「3拍目の裏」から入ってきたように聞こえます。で、そのあとのリズムは、「長 短 短」のパターンをチャンチキ、チャンチキ……と高速反復しているように聞こえます。

でも、チャンチキを打つ手順は、こんな風になっているみたいです。(丸い音符は、チャンチキのお皿の部分を打つ「中打ち」、×音符は枠の部分を打つフチ打ち。譜尾が下の×音符は左側を槌の太い方で打つ「左打ち」、譜尾が上の×音符は、右側を槌の細い方で打つ「右打ち」。)

だんじりの「手」は、合間に「中打ち」でアクセントを効かせながら、「左 右 左」(短 短 長)のパターンを繰り返しているようにも見えるんです。いわば、チャンチキチャンチキ……、ではなく、チキチャンチキチャン……(←実際に伝承されている口唱歌がどのようなものなのか私は知らないので、仮の擬音ですが)。

譜例で16分音符になっている「短 短」の刻みがウラ(=「長 短 短」)なのか、オモテ(=「短 短 長」)なのか、どちらとも判然としない状態で続くのが、だんじりのリズムであるようにも思われます。

(チャンチキの奏法については、井野辺潔、網干毅編『天神祭なにわの響き』、1994年、創元社を参照しました。)

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で、「夏祭浪花鑑」を観ていましたら、囃子方の「手」は、必ず、フチ打ちからはじめて、こんな風になっていて、

かなりはっきり「短 短 長」のパターンが聞こえました。(現行の一般的なだんじり囃子より、ずっと速度が緩やかだったので、倍の音価で記譜しています。)

でも、そうはいっても、三つめの長い音(4分音符)にアクセントを効かせているので、「短 短」の刻みがはっきりオモテと聞こえるわけではなく、西洋風の耳だと「短 短」の刻みをアウフタクトと聴きなしてしまいたくなる誘惑にも駆られてしまいます。やはり、オモテとウラが曖昧なままで流れていくリズムなのかな、という気がします。

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もちろん、こういう「聞こえ」の印象だけで話をするのは一方的で、打ち手の皆さんがどういう風に理解していらっしゃるのか、というところが大事です。そしてそこは、コツや秘伝にも関わるところだと思いますので、そう簡単に何かを断定することはできないと思います。

ここで言いたいのは、シンプルなパターンの繰り返しがベースになってはいるけれど、だからといって、簡単に割り切れるリズムではなさそうだ、ということです。

(ちなみに、こうした、だんじりのリズムの基本は、太鼓をゆったりと3回打つリズム(「右手でドン、もう一回右手でドン、最後を左手で決めてドン」)ではないか、という説明を聞いたこともあります。「ドン、ドン、ド〜ン」の並足のリズムを速めていくと、だんじり囃子の「短 短 長」の刻みになる、という説明です。実際の地車の巡行では、そんな風に、鉦のリズムに合わせて、並足から徐々に地車の速度を増していくこともあるようです。)

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さて、そして大栗裕です。

「大阪俗謡による幻想曲」のチャンチキの最初の4小節はこんな風になっています。このパターンをこのあと管弦楽器で模倣していきます。聴いた印象は、実際のだんじり囃子とちょっと違うんじゃないかと思います。

チャンチキの「手」はこんな感じ。(自筆譜でも、中打ちとフチ打ちが書き分けられています。)

だんじりの特徴と言えそうな「短 短 長」(左 右 左)のフチ打ちを使っていますが、その合間に、長さや回数も様々な「中打ち」が入るので、ずいぶん伸縮自在なリズムになっています。

大栗裕は、実際のだんじり囃子とその特徴を熟知した上で、敢えてこういう風に込みいったリズムを書いたのか? それとも、そこまで熟考したわけではなく、オーケストラ作品として様々な楽器で変奏できる、一種の「節回し」のあるリズムを、実際のだんじり囃子にそれほど強くこだわることなく発想したのか?

「大阪俗謡による幻想曲」のだんじり囃子には、実際のだんじりのオモテとウラが曖昧な反復パターンとは違った意味で、判断を決めかねる「謎」がある、という気がしています。

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ただ、どちらにしても、「大阪俗謡による幻想曲」のリズムがチャンチキで着想されているのは間違いないので、少なくとも、あまり杓子定規な4分の2拍子に囲い込んでしまうと変なことになるでしょうね。

たとえば、1小節目の2拍目の「短 短 長」は拍頭の16分音符に重みがあって、一方、2小節目の「短 短 長」は1拍目の裏から始まっているので、むしろ2拍目頭にある8分音符のほうを大事に叩くべきだ(つまり、1小節目と2小節目は、同じパターンが出てくるけれども小節内の位置が違うのだから叩き分けなければならない)、とか。(クラシック系の打楽器奏者だったら、真っ先にそういうことを習うし、西洋音楽では、そういうところを意識するのが大切なわけわけですが……。)

あるいは、2小節目の4つめの8分音符は次の小節にかかるアウフタクトで、3小節目の頭がこのエネルギーを受け止める強拍だ、とか。

(ドイツのマーチだったら、3小節目は、アウフタクトつきで「(1と2)タッ|タ〜ン!タン タタタッ|タ〜ン! タタタン」というように、拍の頭を強く意識した縦ノリでバッチリ合わていいかもしれない譜面だと思いますが(そしてそんな風にやると威嚇的でかなりカッチョいい感じになりそうですが(笑))、おそらくこれはそうではない。木村吉宏&大阪市音楽団や、丸谷&淀工など、この曲をレパートリーにしている大阪の団体も、そんな風にがちがちには演奏していないはずです。)

大栗裕の譜面は五線譜にきれいに乗るようにまとめられていて、符桁の切り方なども、クラシック音楽に慣れた奏者が読みやすいようにオーソドックスな習慣を守っています。(そういう風に書かないと、ガクタイの皆さんが気持ちよく演奏してくれないですからね。)

でも、書かれたリズムの「読み方」(イントネーションや韻律)は、たとえばアーノンクールがモーツァルトの譜面を鮮やかに読み解いてフレージングを決めていく場合のように、「小節=拍子」のグリッド上の位置で音の重みを決めるやり方だと、かえっておかしくなる。

古楽とは何か―言語としての音楽

古楽とは何か―言語としての音楽

あるいは、たとえば岡田暁生さんは、2005年に関西フィルが演奏した「俗謡」(飯守泰次郎指揮)を、ヴァイタリティ溢れるオーケストレーションでレスピーギを連想させる、と評していて(讀賣新聞大阪版)、たしかに、小節縦線でがっちり固めて演奏すると、大栗作品は体育会系でマッチョな筋骨隆々、「ベルキス」やローマ三部作に近い感じになりそうではあります。

でも、チャンチキの小節縦線や拍子のオモテ/ウラを曖昧にしてしまうリズムを意識すると、むしろ、はんなりして余裕のある音楽になると思いますし、「赤い陣羽織」や「仮面幻想」につながっていく大栗ワールドのようなものがあって「俗謡」もその一翼を担っているのだとしたら、それは、レスピーギ的な世界とはややズレるんじゃないかと、私は思っています。

(たとえば朝比奈隆の演奏も、「俗謡」はそれほど速くないんですよね。大栗裕は、元気一杯の吹奏楽の世界で支持されてきたわけですけれども、レスピーギや往年のソ連音楽の一糸乱れず進軍する歩兵連隊や戦車部隊とは、ちょっと違っていそうです。)

[さらに追記]

……とひとまず書いて、色々な演奏を聴き直してみたのですが、朝比奈・大フィルの演奏(1975年欧州公演時のもの、非売品)は結構ドイツ風ですね。チャンチキの出だしはともかく、テュッティになると低音を強調してかなりいかつくて、小節の頭に重いアクセントを付ける演奏になっていました。むむむ。

同じ朝比奈隆指揮でも、大阪市音楽団の演奏はここまで重厚ではないので、ドイツ音楽をメインに弾いていた時代の大フィルのスタイルなのかもしれませんが……。

大栗裕作品集

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一方、パーカッショングループ大阪の演奏はスマートにだんじりのリズムの特徴がわかります。

打楽器オーケストラ

打楽器オーケストラ

大栗裕の作品は「泥臭い」と言われてきましたが、実はその原因は、譜読みをするオーケストラ奏者の側にドイツ音楽の呪縛があったからなのかも……。

大阪がもともと泥臭かったのか、それとも、急激な近代化が街を泥だらけにしてしまったのか、もう一回リセットして考え直したほうがいいのかもしれませんね。

ちなみに、大栗裕自身がマンドリン・オーケストラや放送楽団を指揮した演奏は、開放的に鳴っていますが、いかついアクセントで引き締めるタイプの演奏ではないです。

(ただし、残念ながら、大栗裕がオーケストラを指揮した演奏で現役の市販ディスクは、私の知る限り、京都の市原栄光堂から出ている「梵音」という仏教讃歌のインストルメンタル編曲集だけではないかと思います。西本願寺へ行けば、隣接する宿泊施設、聞法会館地下の売店などでも普通に購入可能ではあります。アレンジも大栗裕が手がけています。)

[さらに追記おわり]

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……なかなか、言葉で説明するとややこしいですし、ひとつひとつの議論を詰めることができるだけの素材が揃っておらず、それになんといっても、だんじりのリズムはそれぞれのお祭りでとても大切にされていて、打ち手を務めるのは晴れがましいこと、関係者の方々の思い入れの強いものであるに違いなく、部外者が半可通なことを好き勝手に書くのはよくない、との思いもありまして、論文に盛り込むのは早々に諦めてしまった話なのですが、

(だから、ここまで長々と書いてきたことも、何かの結論ではなくて、今のところ、私のさほど多くない見聞の印象ではこういう風に思える、という程度のことに過ぎないとご理解いただければありがたいのですが……)

たぶん、「俗謡」と実際のだんじり囃子の間には、先の論文で獅子舞囃子について細々詮索したこと(http://www3.osk.3web.ne.jp/~tsiraisi/musicology/article/ohguri-fantasia-osaka2.html)に匹敵するような微妙なことがあるんじゃないかと想像しています。

大栗裕の音楽は、譜面はシンプルですが、調べていくと、こういう意外に微妙な襞のようなものが見えてくるんですよね。