大栗裕「ごんぎつね」プロダクション・ノートのようなもの

お引き受けしている宿題が相変わらず色々ありますが、勤労感謝の日に茨木市のクリエイトセンターでやった大栗裕「ごんぎつね」のことは、いちおう、まとめをしておいたほうがいいかと思っております。

お陰様で満席。楽しんでいただけたようでした。大栗裕の音楽物語は、実際に舞台でやると、音だけ聴くよりも、はるかに映える。マンドリン・オーケストラのオリジナルの形が一番いいのはもちろんですが、編曲でも十分に楽しめることがわかって、再演した意味はあったかな、と思っております。

「ごんぎつね」は、語り手以外同じメンバーで、茨木混声合唱団の定期演奏会(2010年10月17日 PM2:00〜 茨木市民会館大ホール(ユーアイホール)でも再演されます。ご興味のある方は是非。

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新美南吉の童話をもとに、大栗裕が1962年に関西学院マンドリン・オーケストラのために作曲した童謡オペレッタ「ごん狐」のことは、ここでも前に紹介させていただきました。→ http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20100211/p1

昨年の春から大阪音大の大栗文庫にご遺族から寄贈されたオープンリールテープの内容確認の作業が少しずつ進んでおりまして、初演時のメンバーによる「ごん狐」の録音(1962年に朝日放送ラジオ「音楽スコープ」で放送された内容のマスターテープ)は早い段階で見つかっていました。

聴いてすぐに、ごん狐の歌(ソプラノ)はごく普通の意味で鑑賞に耐える良い出来ばえだと思いましたし、もう一人の主役の兵十(大栗作品では、「ひょうじゅう」ではなく「へいじゅう」と読んでいます)のパートが、大栗裕のオペラ(「赤い陣羽織」や「飛鳥」)に通じるスタイルで、大栗裕入門にもなるから再演の価値がありそうだな、と思っていました。

[追記:「ごん狐」の『赤い鳥』初出時のルビは「ひやう」で、1980年刊行の全集以後、「ひょうじゅう」の読みに統一する動きになっているようです。ただ、「兵=ひょう」の読みは作者の指定を知らないとできるものではなく、戦後この作品が広まったときには「へいじゅう」のルビを振る版もあったのだとか。大栗裕が1962年に作曲した際には、「へいじゅう」としても違和感がなかったものと思われます。]

(その後、挿入曲のひとつを単独の歌曲「すすきの穂先に」としてオーケストラ伴奏でラジオ放送した録音もみつかり、ピアノ伴奏版を作って歌曲リサイタルで演奏した記録もみつかりました。「ごん狐」は、大栗裕にとっても自信作だったと思われます。)

今回バリアフリー・コンサートという茨木市でピアノの石原さんが十年来やっているシリーズでの上演になったわけですが、石原さんは関西歌劇団で1999年に「地獄変」をやった時に練習ピアノを弾いたり、「赤い陣羽織」の本番でピアノ/チェレスタを弾いた経験もある方。オペラのピアノの経験豊富なので、この人にお任せすれば大丈夫だろうと思って、お願いしました。

楽譜は、大阪音大に合唱練習用と思われるピアノ・スコアがあって、関学には、部員さんが写譜作成したと思われるパート譜が残っています。これを組み合わせる形にして、語りは、台本も残っていますが、今回は上記ラジオ録音をもとにしました。

といっても、わたくしがやったのはそのあたりの素材の所在をご紹介するところまでです。楽譜を照合して、演奏メンバーを揃えて……というここから先の具体的な作業は石原さんにお任せしました。実はここが一番大変だったはずですし、石原さんのような行動力のある人がいなければ実現しなかったコンサートだと思います。

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さらに、石原さんが初演でごん狐役を歌った渡邊弓子先生をご存じだというので、ご紹介いただいて、渡邊先生を通じて、初演の兵十役だった楯了三さんのお話もお伺いすることができました。(楯さんは、関西歌劇団で武智鉄二演出「お蝶夫人」のシャープレス、「修禅寺物語」の夜叉王を演っていらっしゃいますし、大栗作品では「飛鳥」にもご出演。大栗の歌曲「二つの詩」も楯さんが初演。そう思って聴き直すと、「ごん狐」の兵十は、楯さんの声・キャラクターにぴったりですし、楯さんありきの役、当て書きだったと考えて間違いないようです。)

こういう風に、いわば先代・初代を演じた方々の目を意識してしまうのは、歌手の皆さんにとってはプレッシャーにもなりかねないと思いますが、今回のごん狐の小西潤子さんは丁寧に作り込んでくださいましたし、兵十の萩原次己さんも存在感十分。童謡が原作ですが、お二人のおかげで、大人が本気で楽しめるお芝居になったように思います。

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新美南吉の原作と比べると(上原弘毅脚色)、大栗裕の「ごん狐」は、兵十と村人やいわし売りのやり取り、母親の葬儀などが台詞で進む「場面」として作ってあり、最後に兵十がきつねを撃って、そのあとで真実がわかる(でも手遅れ……)という一番の見せ場も、モノローグですが、兵十が歌/声で演じなければならない書き方になっています。バリトンの兵十は、はっきりとオペラ的です。(大栗裕が、数々の名演で信頼していた楯さんを想定して、彼の演唱があればドラマのクライマックスが成立する、という計算だったのだと思われます。)

一方、ごん狐のほうは、村のひとたちを物陰から眺めていて、いつもひとりぼっち。音楽も、ほぼいつも独唱で自己完結しています。そして兵十がレチタティーヴォ風かつ半音階的に陰影があるスタイルなのに対して、ごん狐のほうは調性音楽で、明るい場面がワルツ風になったりします。兵十とごん狐は、いわば、「現代音楽調のオトナ(兵十9vsクラシック音楽調のコドモ(ごん狐)」という対比になっています。

ちなみに、その兵十にからむ村人等の合唱は、しばしばペンタトニックです。ペンタトニックと現代音楽調が絡み合う村人たちの輪から、ごん狐のクラシック調だけが、ひとりぼっちで外れているわけです。

実は本番を聴きながら、大栗裕は全体を可愛らしくまとめて、世評で言われる土俗的というより、案外、結構育ちのいい「お坊ちゃん」のような印象のある作品だなあ、と思っておりました。

ごん狐の「ひとりぼっちのクラシック」という構図は、お上品な家の半ズボン履いたお坊ちゃんが、わらべうたを歌いながら遊んでいる子供たちから一人だけ浮いてしまっている絵に似ているかもしれません。この物語のなかで、クラシック音楽は、清く正しい世界で、無垢なコドモのイメージではあるのだけれども、日本の村にはなじんでいないわけです。

大栗裕は、オケマンとしての経歴から行っても、前の論文で書いたような初期の作風の変遷から考えても、教条的な民族派ではなかったと思われます。「赤い陣羽織」で武智鉄二はおかかとおやじを新劇風、お代官を狂言もしくは人形振り、奥方を歌舞伎女形と別の演技スタイルに振り分けましたが、「ごん狐」の大栗裕が、それぞれの役を別の音楽スタイルに書き分けているのは、武智鉄二のやり方の音楽物語版、武智鉄二が役者の所作レヴェルでやったことを歌唱スタイルのレヴェルでやろうとしているようにも見えます。

そしてそのような歌い分けをしたときに、清く正しいクラシック調が、聴衆の共感を集めつつ物語内では「ひとりぼっち」なのは、ひょっとすると大栗裕のクラシック音楽観もしくは現状認識だったのでしょうか?

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個人的には、合唱部分の練習に何度か立ち会わせていただいたのが新鮮なような、懐かしいような貴重な経験でした。

大栗裕の原曲では、歌のバックは全部マンドリン・オーケストラです。初演時は、語りが若手女性アナウンサー、ソロ歌手は関西歌劇団メンバー、合唱は関学の混声合唱エゴラドのゲスト出演でした。練習は、マンドリン・オーケストラ部分を仕上げるところに一番時間をかけただろうと思われます。(指導と本番指揮は大栗裕自身でした。)

この世代の関学マンドリン・オーケストラOBの方々は卒業後も「ごん狐」に思い入れをもっていらっしゃるようですし、少し下の世代だと、ドーデー原作の「星」に思い入れがある、ということのようです。合唱や吹奏楽でもそうだと思うのですが、アマチュアのための音楽は、お客さんにどう映るかということをおろそかにした自己満足ではダメですけれども、まず演奏する皆様に愛していただかなければ成り立たない。音楽への愛着、思い入れの結晶が本番の舞台に出るものなのだろうと思います。

今回、原曲のマンドリン部分をピアノでやったわけですが、その分、合唱を茨木混声のみなさまにお願いして、時間をかけて作っていただきました。ドラマのなかで「役」を演じなければいけない譜面になっていて、いつもの合唱とは勝手が違ったと思うのですが、面白いと感じていただけていたらいいのですが……。