佐渡裕さんは……、一度行って、ああ、と思って、皆さんが喜んでいらっしゃる間はそれでよろしいんじゃないでしょうか、とそれっきりになる上品な音楽関係者が少なくないから、おおっぴらな論議が地元から上がらないのではないかと思いますが(日経の批評で先日、わたくしは兵庫芸文オケにかなり酷いことを書きましたが^^;;)、
それはともかく、
素晴らしい音楽を聴くと、それを書いた作曲家も人格的に素晴らしいに違いないと信じて瞳が輝く、という善良な心で、そのままクラシック音楽関係のお仕事に就く、そういうのは、今も決して少数派ではなくデフォルトなのだろうなあと思う今日この頃。
http://blogs.yahoo.co.jp/katzeblanca/19345765.html
↑植民地とは何か、宗主国が笑顔で植民地を統治する構造を勉強なさったほうがいいのでは、と反射的に思ってしまいましたです。
ブーランジェが名教師だから南北アメリカ人が集まったのか、南北アメリカ人に優しかったから、OBたちがブーランジェを名教師と喧伝するようになったのか、微妙なところだと思いますし……、
ピアソラは確かイタリア系で、ニューヨークの移民街で少年時代を過ごして、そこでバンドネオンと出会ったとかですよね。
音楽家として色々興味深い存在だと思いますが、
たとえばシチリア出身のマフィアがフランスのインテリを信用するだろうか(旧フランス領への米軍侵攻映画を撮ったコッポラやアントワネットをおバカなアメリカ娘に設定したそのお嬢さんはフランスのシネフィルをどう思っているのやら)、というような人情を背景に想定したほうがいいのではないでしょうか。
「自分らしさを失わないで」と優しく語りかける女性に、うるせえババア、と言い返す精神なしに、北野武がヴェネツィアやカンヌへ行っているはずがないし……。(外国語でそれをどう言うのか、北野監督が理解したのは、役者が罵声しかしゃべらないらしいアウトレイジになってからなのかもしれませんが。)
もちろん、個人と個人がそうした構造的な関係性を越えて信頼しあうことは確かにあるだろうけれども[追記:そして意図せざる形での幸福なマッチングというのがあるかもしれないけれども]、それは、教師のあるべき姿という一般論の次元においてではないのではなかろうか、と私だったら思ってしまうのですが……。
めちゃめちゃ強気だけれども、実は愛に飢えるマザコンだ、とか、そういう話かもしれないし。
単純な教訓で済むんだったら、アレックス・ロスは要らないことになってしまう。そりゃ、あんまりだ(泣)。
- 1. 自分を棚に上げて概念操作ゲームをする
- 2. 自分をダシにして他人を語る
- 3. 他人をダシにして自分を語る
仮に作文に3つのパターンがあるとしたら、3.のスタイルを基本としていらっしゃるようなので(「近代的自我」とはそういう作文によって生成されるものである、とも言われているようですし)、まあいいのかな、と思いますが。
この本は、自分をダシにして20世紀を語っている、そこが偉いよな、ということなんじゃないでしょうか。いわゆる「オカマ語り」の自分を語りたいような語りたくないような撞着状態をバネにしてひたすら他人をダシにしゃべりまくるモードではなく、でも、言うべきことは言っているから、読まれているのではないでしょうか。
- 作者: アレックス・ロス,柿沼敏江
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2010/11/25
- メディア: 単行本
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[付記]
……と一気に書いてしまいましたが、以下、もう少し落ち着いて考えたこと。
ブーランジェとピアソラのエピソードは、ブーランジェがピアソラの何を誉めたのか、誉められたピアソラは何が嬉しかったのか、よくわからない話だと、私は前から思っていました。
彼女は、ピアソラにもコープランドにも大澤壽人にも、ほぼ同じようなアドヴァイスをしていたようです。そしてピアソラとコープランドはブーランジェに感謝したことになっているけれど、ブーランジェと大澤壽人の関係は緊張を孕むものだったようです。
ブーランジェの指導は、なんとなく、評判の占い師の手法に似ている印象を受けます。最大公約数の悩める人にとっては「よく当たる占い」だけれども、なかには、「あんなのインチキだ」と相性の悪い場合がある。
大澤壽人は、「日本人らしさ」を求められて、まるで民族学者からエキゾチックな土人扱いされたように感じて、過不足ない教養・文化を身につけた世界市民としてのプライドを傷つけられたのではないでしょうか?
一方で、たしかにコープランドの生まれたニューヨークは北米ナンバーワンの大都会だし、ピアソラのブエノスアイレスは南米で突出して西欧化された都市。コープランドもピアソラも都会育ちで、コープランドがメキシコやカウボーイやシェーカーに関心をもつのはフランスからの帰国後で、ピアソラは生涯、ヒナステラのようにパンパのガウチョに興味をもつことはなかったようではあります。
でも、新大陸の大都会の住人といっても、コープランドはユダヤ系で左翼でゲイだし、ピアソラはタンゴ・バンドをやっていたけれども、その状態を脱出したいと願っていた。クリスチャンで関学ボーイでボストンの大学を卒業したブルジョワの大澤壽人のようなセレブのエリートではなく、マイノリティであったり、場末でもがいていたりした人たち。
いかにも、ドビュッシーやストラヴィンスキーを好むパリの作曲家と話が合いそうな人物と言えるのではないでしょうか。
ストラヴィンスキーが、戦後の東京をうろついて芸大には入れず、映画の世界に潜り込みつつインターメディアの美術家たちとつきあっていた武満徹を「これはいい」と誉めたのと、関係が似ているように思います。
理想の師弟関係というより、都会に迷える若者の「心のオアシス」という感じだったのではないでしょうか。
エクリチュールのトレーニングは厳格だったとのことですが、パリ音楽院におけるような本来の目的に沿ってカリキュラムを推し進めたというよりも、内田樹の言う武術の効用。剣道や柔道(近代社会によって本来の殺傷能力を去勢された武術)の道場が、街のあぶれ者の溜まり場になって、とりあえず定期的に身体を動かしているうちにとげとげしい心がほぐされる、というのに似ている気がします。
定職もなく、あてのない日々を送っていた冬の夜、自由が丘駅南口の薄暗い通りを歩いているときに古い道場の前を通りかかった。[…]
東京と私 (内田樹の研究室)
岡本太郎が、帰国後のしかるべき地位が約束されているパリの日本人画学生たちの生活ぶりを嫌って、ソルボンヌなどで出入りした話ともちょっと似ている。
ブーランジェは、彼女の側にそういう自覚があったのか定かではないけれども、遠方から来た若者たちにとっては、20世紀のストリート・チルドレンの成長物語、カンフー映画などにしばしば登場する導師の役割を演じることになった。……仮のあのエピソードを美談と解釈するとしたら、そういうことではないでしょうか?