「日本オペラ百年の記憶 since 1903」(『グランド・オペラ』vol.30(2003年春号))

[12/16 最後のオマケに一言追記。]


新国立劇場をはじめとするオペラ専用劇場ができて、内外ともに演出家の皆さまの元気が良い「演劇としての日本オペラ」の第三期は、まだ「歴史」ではなく、現在進行形なのかもしれませんね。

『日本オペラ史1953〜』の関西歌劇団関連 - 仕事の日記(はてな)

と書きましたが、「演劇としての日本オペラ」を具体的に感じさせてくれる本は、現状では、これかもしれませんね。8年前……ということは、ちょうど『日本オペラ史〜1952』が出た年の音楽の友・別冊『グランド・オペラ』vol.30(2003年4月15日発行)の特集です。

2003年は「日本のオペラ100年」に当たる年だったんですね。全部で62ページの力の入った企画で、冒頭にちょうど百年前1993年の東京音楽学校におけるグルック「オルフォイス」の舞台写真が見開き2ページぶちぬきでドーンと掲載されて、初代帝国劇場から当時開館6年目だった新国立劇場まで、日本でオペラがこの百年間に上演されてきた場所(劇場)と舞台の実際を「見る・見せる」ことにこだわる紙面構成になっています。

この方針で100年の歴史を概観しようとすれば、NHKイタリア・オペラ、日生劇場こけら落としのベルリン・ドイツ・オペラの引越公演といったあたりが重要な「見せ場」として浮上するんですね。

藤原義江(「我らのテナー」)や砂原美智子(メノッティ「領事」のマグダ)の写真は目を奪われる美男美女。一方、「楽譜を正しく歌う」ことが何よりの“売り”であったとされる二期会創設メンバーの方々の集合写真も出てきますが、こちらは、なぜか皆さん背が低い(失礼!)。日本の「演じられた近代」の一番バタ臭い部分を突っ走っていたオペラで何が起きていたのか、こういうのが知りたいんだよ、とわたくしは思うのでございます。

(関根礼子先生が執筆していらっしゃる「日本のオペラ作品50年のあゆみ」(54-55頁)の一覧では、清水脩「修禅寺物語」の初演年は「1954」となっています。「1953年放送初演説」は、これよりあと、ここ数年の日本洋楽における放送の役割を再評価しようとする動きのなかで出てきた何かの情報が、錯綜する形で関根先生に伝わってしまった結果なのでしょうか。

一方、日本の大小様々なオペラ・カンパニーを概観する藤田由之さんは、「修禅寺物語」をABCの委嘱、と書いていらっしゃいます。

関西ではABCが委嘱した清水脩の《修禅寺物語》が初演されたり、武智鉄二が創作オペラ運動の推進に努めたことも見逃せまい。(51頁)

紙数が限られたなかで圧縮した表現になった可能性はありますが、当時を具体的に知る方々の間にも、曖昧ながら「「修禅寺」はABCの委嘱」という見方があったということでしょうか……。)

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音友別冊『グランド・オペラ』は、今まで私はまったくノーマークで、大変申し訳ないことに手にとって中を見たことすらなかったのですが、最新の2011年秋ですでに47号。

http://www.ongakunotomo.co.jp/magazine/grandopera/

調べてみますと、vol.1は1991年11月ですから既に創刊から20年。春と秋に年2回出ていますが、1997〜1999年の3年間は、季刊として年4回発行=vol.12(1997年春)〜vol.23(1999年秋)。

おそらく、オペラ・ブームで新国立劇場が本当に出来るというのを見越して雑誌を立ち上げたのでしょうし、実際に新国がオープンした1997年から季刊年4回へペースアップしたわけですよね。その後、ふたたび春・秋の年2号に戻りはしましたけれども、新国はオープンから14年。ビジュアル重視のオペラ雑誌をながめていると、歌を重視する時代から次のフェーズに入ったんだなという気になってしまいます。

(そして「第三期」から振り返ると、日本のオペラの「第二期」は、頭の位置がやや低めの「先生」に合わせて、窮屈なところへ舞台が切りそろえられていたのだなあ、と。)

[オマケ]

最近、イスラエルの壁に卵をぶつけることで知られる作家さんが「小澤征爾さんと、音楽について話を」した本が刊行されましたけれど、上記「グランド・オペラ」の2003年の特集には新国立劇場初代芸術監督・畑中良輔インタビューがあり、インタビュアーの地の文の形で、

[新国立劇場が]専属オーケストラを持たないことが決まったのと時を同じくして、小澤征爾などが準備委員会から遠ざかっていった。(82頁、取材・文=堀江昭朗)

という記述がさらりと混ざっていて、ドキドキしました。小澤征爾は、ウィーンでも日本でも、基本的に「オーケストラの人」であって、その足場・足がかりがないところへは来ない/行かない人なんですね。

ハルキ本で、ウィーンの観客からブーイングを受けたときにも、オケのメンバーはボクに味方してくれたから平気だった、と語っているのと、この新国準備段階のエピソードは表裏一体で辻褄が合っているように思います。

(もちろん、新国の周辺では、わたくし如きのまったくわからないところで膨大な噂や情報や何やらが飛び交っていたに違いなく、そのなかでこの話がどういう風に込み込まれて解釈されるべきことなのか、そもそも、信憑性がどの程度あるのか、ないのか、わたしにはまったくわかりません。

ただ、ハルキ×オザワ本は、「ハルキさんのクラシック好きはやっぱりホンモノ、さすが♪」みたい方向で読むことに興味がない者にとっては、この対話のなかの小澤征爾に「オーケストラ大国アメリカ」でキャリアを切り開いていく生身の音楽家の感触みたいなものが感じられたところが大変面白く、そういう感触とどこかでつながるかな、と思ってご紹介した次第でございます。生身の音楽家な感じが、ウィーン音楽監督時代とかという現在に近づくとどうしても薄くなって、「雲の上の人」感が強まりがちになりますし。)

小澤征爾さんと、音楽について話をする

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オーケストラ大国アメリカ (集英社新書)

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