イタリア・オペラにおける出版社の台頭(水谷彰良『消えたオペラ譜』)

[12/23 最後に事後報告の追記あり]

明日の授業(歌劇史)の準備をしていて思いついたお話。

消えたオペラ譜―楽譜出版にみるオペラ400年史

消えたオペラ譜―楽譜出版にみるオペラ400年史

イタリア・オペラの出版事情に関する水谷彰良さんの説明を雑駁かつ大胆に敷衍すると、たぶん、こういうことになるような気がするのです。題して「イタリア・オペラの世紀末:プッチーニと黄金期の“オペラ産業”」。

  • (1) ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティは劇場・興行主と直接契約、楽譜は興行主が買い取り = 作曲家は劇場の出入り業者扱い、興行成績が収入に直結(正確には、19世紀以前にはそれが通例で、彼ら三人はその状況のなかにいて別の可能性を模索した過渡期の人だと思いますが、ここは話を単純化するために、いちおう、こういうことにしておきます。)
  • (2) ヴェルディは楽譜出版者(リコルディ)と契約し、楽譜出版者が「代理人」として劇場と交渉 = 興行成績と独立して作曲の報酬を確保

そしてここで、1886年にベルヌ条約起草で著作権思想が確立。(ロッシーニ以来、イタリアのオペラ作曲家がパリをはじめとする外国で仕事をしはじめたことも、イタリアの商慣習を改めて、作曲家の発言権を強める「外圧」として作用した可能性あり。)

  • (3) マスカーニ、レオンカヴァッロ、プッチーニは、楽譜出版社によって「発掘・育成」された世代 = 作曲・マネジメント・上演が分業する「オペラ産業」の確立、新作量産の時代へ
  • 例1:ソンツォーニョ社のコンクール → マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」(1890)
  • 例2:リコルディ社の資金援助 → 苦節4年、プッチーニが第3作「マノン・レスコー」(1893)で大ヒット

トスカニーニの評伝にも、彼の若い頃=世紀転換期のイタリアのオペラ劇場は、やたらめったら新作がかかっていた話が出て来ます。それは「昔からそうだった」というのではなく、あたかもそれが自然・当然であるかのような状況が直近の産業構造によって確立したと見た方が話が面白そうだと思うのです。日本における「演歌」がそうであるように、オペラは、ひょっとすると「創られたイタリアの心神話」だった可能性がありはしないか、と。

そして大貴族ヴィスコンティ様の映画(のなかでのイタリア・オペラの扱い)は、艶歌における五木寛之のように、「イタリアの心」神話創成にコミットしていたりするのではないか。マリア・カラスは、イタリア・オペラにおける藤圭子だったりすると愉快な話になるのではないか、と。

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

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輪島裕介の演歌論が21世紀のイタリア・オペラ研究に必須の先行文献と位置づけられる、とか、そういう法外な展開のほうが、「阪大準教授」を売り出す方法としては、恩師の引きで賞をもらうとか、学会の出店でパイプ椅子に座ってサイン会するより面白そうじゃないですか。北野武がヴェネツィアの常連で、村上隆がヴェルサイユへ行くのだから、日本のサブカルの世界戦略(?)としては、それくらいでちょうど良いはずだと思う。輪島裕介をミラノへ派遣して「イタリアの心」を語らせる会。貨物船に自転車と一緒に乗り込んで渡航する顛末をアルテスさんが密着独占取材する、とか。(イタリアのスローフードに対する坂本龍一のコメントを添えるのも吉(笑)。)

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ロッシーニから順番に見ていくと、プッチーニで明らかに「何か」が質的に変わっている気がしておりまして、その「違い」はリヒァルト・シュトラウスやマーラー、ドビュッシーやラヴェルなんかに似ていて、でも、それを作曲技法レヴェルの貸借関係で説明するだけでは済まないと思うのです。そもそも、イタリア・オペラ業界が、そうした形で同時代の海外業者と技法上の「取引」をするようになったこと自体がビジネス用語的な意味での「パラダイム・シフト」だったのではないか、と。

で、こういう風に「産業としてのイタリア・オペラ」の変遷(成熟?)を想定しておくと、アレックス・ロス流の20世紀音楽論とのつながりもスムーズになりそうですし、

20世紀を語る音楽 (1)

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もう一方で、北野圭介さんがスケッチしてくださっているような1930年代以後のハリウッド=物語産業をオペラが準備しつつ、主役の座を奪われていく流れをトータルに捉えるための糸口にもなりはしないか、と空想したりしてしまいました。

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映画館などを「垂直統合」していたメジャー映画会社という存在を押さえないと黄金期のハリウッドがわからないように、「産業としてのイタリア・オペラ」を解きほぐす鍵はリコルディ社だろう。水谷さんの本は、明らかにそう言っているように、私には読めたのでございます。

「モーツァルトを創った男、ケッヘル」よりも、「ヴェルディを創った男、リコルディ」のほうが、生々しくて、ヤバそうな内幕が色々ありそうで、出張の新幹線や飛行機の往復に読む新書には最適かも。

「一幕もののヴェリズモ」というのも、時代思潮というより、新興のソンツォーニョが大手リコルディに対抗する出版社の差別化戦略という意味合いが強そうで、この頃からオペラ業界に「一発屋」が続出するのはいかにも芸能界チックですし、いかにも出版社(出版メディア)にありがちなマッチ・ポンプ的話題作り、という感じがするんですよね。

(ということで、2011年が終わりに近づいたので、今年の手当たり次第の読書のまとめに入りかけております。)

[12/23追記]

……こういうことを書くと、女子大の音楽学部で白石はいったい何をやっているのだ、ということになりそうですが、以上のお話は授業ではあくまで「前振り」扱いにしました。

こういう「オペラ産業」の成熟を踏まえると、プッチーニのオペラが単なるメロドラマではなく、周到に準備した「+α」の付加価値を伴っていること、プッチーニのオペラが、見やすくわかりやすいのに、同時に、とってもゴージャスな感じがするのはどうしてなのか、整理して理解できるようになるのではないか、ということで、「ボエーム」と「トスカ」、比較材料としてレオンカヴァッロの「パリアッチョ」の特徴を具体的に検討しました。

「ボエーム」の第3幕は、ムゼッタとマルチェッロの痴話ゲンカの小芝居が、ミミとロドルフォの別れ話(「さよならは一度だけ」というメロディーを何度も何度もアンコールする^^;;)を際立たせるのだから、「メロドラマ+α」の典型のような場面だし、「トスカ」の例の「歌に生き……」は、オーケストラのEs-durのメロディーでメロドラマ的な満足感をお客様に与えつつ、台詞は(メロディーとシンクロしないタイミングでの)parlandoで演者の芝居が途切れないようになっている、等々。

そして、上演史は、いちいち説明する余裕はありませんでしたが、ネトレプコの「ボエーム」映画は彼女が出てこない場面だけを使う。

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ネトレプコはムゼッタのほうが合うのでは、と言う学生さんがいて、なるほどと思いました。

「トスカ」の歌を聞かせるところはテバルディにして、第2幕の幕切れはコヴェントガーデンのマリア・カラスを見ていただいて、

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「歌に生き……」は、ここだけは私の見せ場、誰にも文句は言わせない、という感じのテバルディがいいかな、と思い、NHKイタリア歌劇は、学生さんにこういうのがあったんだよと知っていただく意味があるかも、とは思いましたが、録音がデッドで声が伸びないですし、あのスカルピアはいくら何でも……、ということで同じ年のシュトゥットガルトのほうを採用。
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一方、第2幕最後の大芝居は、マリア・カラスとゼッフィレッリの集大成のようなこの映像を観るしかないですよね。

「パリアッチョ」を含め、大事なところは全部ゼッフィレッリが演出した映像で統一しましたので、プッチーニを見るのは初めてだという学生さんにも、それほど偏った印象を植え付けることなく終えることができたのではないかという気がします。

歌と芝居がせめぎ合う剣が峰みたいなところを、あと一歩で芝居の側へ落っこちてオペラが終わってしまいそうな「世紀末」の危うさを抱えつつ、綱渡り的に縫っていく感じが、「何だかよくわからないけれど、特別なものを観た」という形で、学生さんの記憶のどこかに痕跡として残ればいいのではないか、ということで。

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日本版が再発売されましたが、高いですねえ……。
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結果的に「三大テノール」のうちの二人が登場することになりましたが、今映像コンテンツとして観ると、単体としてのテノール=突出したスターというより、ゼッフィレッリのドラマのフレームに丁度良く収まることの出来る人たちだったんだな、という気がしました。マリア・カラスを観たあとだと、なおさら、その感が強いですね。

(今年は、歌劇史の授業を初めて受け持つことになりまして、春先から、VHSやLDに遡ってひたすらオペラの映像商品を渉猟していたのは、そのための素材集めだったのですが、散々色々探し回った末に「定番」へ落ち着く結果になったのは、これもプッチーニらしかったかな、と思っております。(ロッシーニやベッリーニ、ドニゼッティは、当然ながら、もっと新しい現役の映像を主に使いました。)

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ただし、ビオンディ指揮の、試みとしてはなかなか興味深い「ピリオド・アプローチ」の映像のあとで、マリア・カラス/デル・モナコの1955年スカラ座ライブのCD(Casta divaではなく、最後の、ノルマが「私です(i--------------------o)」と見栄を切ったあとで客席から声がかかるところ)をかけると、歌専攻の学生さんたちは、圧倒的にマリア・カラスのほうに魅了されてしまうんですよね。先頃の世紀転換期の諸々のポストモダン(?)な試みよりも、1950年代の「女優」のほうが、むしろ、今の若い人たちにとっては、「来てる」のかなあ、などと思ってしまったりします。
Norma

Norma

教室での授業というものは、一般に、教壇に立つ教師が言外に考え、感じていることに受講した方々が「感染」してしまうものなので、ニュートラルな世論調査にはなり得ませんが。
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ハリウッド映画では1953年前後にマリリン・モンロー(「七年目の浮気」)、オードリー・ヘップバーン(「ローマの休日」)、グレース・ケリー(「裏窓」)がほぼ同世代の新しいスターとして相次いで出て、同じタイミングでイタリア・オペラに「降臨」したのがマリア・カラスなんですよね。

そしてそこには、スカラ座へのバーンスタイン初登場も絡んでいたりして……。(マリア・カラスがオードリーの体型を理想として猛烈なダイエットを敢行した、との伝説もありますし。)

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それから、曽根崎心中を松竹(←すでに会社の意向で武智鉄二による歌舞伎再検討を打ち切ったあとです)が宇野信夫の脚色・演出で復活上演して、扇雀(現坂田藤十郎)のお初が男の手を引いて走る戦後の新しい女形で鮮烈な印象を与えたのも1953年(昭和28年)です。

「55年体制」というのは、ひょっとすると、日本の政党政治だけの話ではなかったのかもしれませんね。日本の話なのに、「昭和30年体制」ではなく、西暦で呼び習わされているところも気になります。日本の「創作オペラ運動」というのは、まさにこの時節のムーヴメントであったわけです。現在から遡って構築される戦後世相史の見取り図のなかでは、長らく「60年安保」という大きな波頭の向こう側へ隠れて見えなくなってしまっていましたが。

革新幻想の戦後史

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本当は、音楽専攻の授業のオペラ史は、こういう風にどこまでいっても「鑑賞の手引き」に収まってしまいそうな枠内に留まるのではなく、もっと歌手を目指す人たちのための基礎教養という視点をはっきり持った組み立てにするべきなのだろう、オペラが「演劇」であるとすれば、そのために歌手として必要なことは何なのか、ということが明確になる筋立てを考えないといけないのだろうと思いますが、

それは、実際に授業をやってみてようやく気づいたことで、今後の課題・宿題にしたいと思います。)