ドイツ・ロマン派音楽に動揺してしまいました(大山平一郎指揮・大阪フィル定期演奏会)

大阪フィル今年度最後の定期は、大山平一郎さんの指揮でウェーバー「オベロン」序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(独奏は野平一郎さん)、シューマンの交響曲第3番。

今月も解説を書かせていただいたのですが、ウェーバーについて何か書く場をいただけるのは、今の日本ではもしかすると大栗裕について書かせていただくよりさらに貴重かもしれないと思って、1曲目であれこれ書き連ねてしまい、

次のベートーヴェンは、本番で作曲家の野平さんが弾くんだと思うと、(そういう発想は単なる自意識過剰ではありますけれども)ちゃんとしなければと思ってしまいまして、解説はややこの2曲で力尽きたところがあり、

本番の大山さんの熱くストレートなシューマンを聴きながら、シューマンのことはもう大体わかっているつもりになっていたのは不遜であったと、大いに反省しておりました。

シューマンが実際にデュッセルドルフへ移り住んで、曲にはのちに「ライン」のニックネームが付いたわけですが、絵のような風景とか、絵画的なポエジーとか、そういうのんびりしたことではなく、成長小説風の「心の旅」。見てくれとか、小手先の効果ではなく、心を尽くして音楽すれば、オーケストレーションが不細工であるとか、管楽器が一様にワンワン響いているということがあったとしても、良い音楽として、いわば「心から発して心へと」伝わるはずだ、という、ちょっと恐いくらいの信念に圧倒される思いでございました。

先行する交響曲第2番の終楽章は、ソナタ形式風にはじまって、そこからどんどんずれて流転していく不思議な音楽ですが、第3番になると、ほぼ全編どこにも機械的な反復・再現がないんですね。第1楽章はソナタ形式ですけれども、ホルンが高らかに鳴る再現部からあとも、ずっと主題の流転・変容が続いていますし、第2楽章のスケルツォ(レントラー)も、トリオと呼べる開放感のない不思議なエピソードから主部へもどったあとは、もはや、冒頭と同じではない。森で神秘的な体験をして、そのあと家へ戻ってきたときには、もう以前の私ではなくなっている、という感じがしました。おそらく、大山さんが絶えざる流転のコンセプトをはっきり持って演奏しているから、そのことがはっきり聞こえてきたのだと思います。

シューマンのこの交響曲は、ベートーヴェンの長大なコーダをもつ第3番にはじまって、ブラームスやマーラーからシェーンベルクの「発展的変奏」へたどりつく(流れ着く)系譜に、しっかり入っているんですね。

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演奏会の往復は、『近代日本の陽明学』を読み返していました。

近代日本の陽明学 (講談社選書メチエ)

近代日本の陽明学 (講談社選書メチエ)

陽明学が教義や儀式にとらわれず、「心」から発するものを重視していると日本では理解され、義憤に駆られて決起する人々の拠り所となったことが記述されていくわけですが、

自分で書いたウェーバーの解説をぼんやり眺めながら、ドイツ・ロマン派オペラに「悪魔や妖精」が出てくるのは、キリスト教によって抑圧されたゲルマン文化の古層を取り戻す含みがあるのだから、オトナたちがメルヘンを藝術として称揚したのは、いってみれば、「もののあはれ」の国学っぽいムーヴメントだったかもしれない、なるほどこれがナショナリズムの源流としてのロマン主義ということか、と今更のように思いまして、

さらに、大山さんの演奏を反芻しながら、「心から発して心へ達する」ロマンチシズムは陽明学?と妄想してしまいました。

四半世紀ずっと初期ロマン派の音楽のことを考えてきましたが、こういう音楽を少年のようにいいなあと思う心には潜在的な右翼成分があるのだろうか、と考えると、ちょっと動揺してしまいます。(これがナンシー関の言っていた、ヤンキーのファンシー好き、という症状なのか? そんな成分がわたくしの中にも棲息していたのか?!)

自分のことを鏡に映すようにして反省するのは、なかなか難しいんですね……。

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ベートーヴェンの4つ目のピアノ協奏曲の緩徐楽章は、長らく類例のない独特な音楽とされてきたようなのですが、

(野平さんの演奏は、彼のソルフェージュ力がオーケストラにも伝染したかのようにソロとオケの受け渡しのピッチが信じがたいほどぴったり合っていて、指揮者ともども語尾まで丁寧に発声する楷書の演奏スタイルで曲の形はきっちり定まっており、美的カテゴリーとしての「正しさ」というのがあるとすればこれかもしれない、などと思いましたが、その中でも、第2楽章は、常識的・慣習的な意味での「情感豊かな表現」(要するに我を忘れたかのような不透明さ)が一切ないままに「内面的・内省的」な音楽を作り出していて、思わず、「昔はクラシック音楽ってこんな風にみんな真面目にやっていたよなあ、今もやっている人が現にこうしているんだ」と胸が熱くなってしまいました。ポスト・ポストモダンなのか、ポスト・ポスト・ポストモダンなのか、ともかく何を信じたらいいのかわからないご時世故に(笑)持って回った言い方になりますが、「音楽作品」の美的な地位を許容する音楽文化において、感動的な演奏というのは、演奏者自身の熱量が客席へ伝播するというのではなく(←そういうのはハンスリック大先生に怒られます!)、こういう風に、明晰な演奏に、鑑賞者の側が胸を熱くする、という形を取るんですよね。)

今回解説の準備をしながら、この緩徐楽章は、ひょっとしたらこれは「メロドラマ」(ルソーの「ピグマリオン」にはじまって、ベンダを媒介してモーツァルトの「ツァイーデ」になり、ベートーヴェンがフランスのオペラを手本にして「フィデリオ」へ導入したような)ではないかと思いつきました。

初期オペラの研究―総合舞台芸術への学術的アプローチ

初期オペラの研究―総合舞台芸術への学術的アプローチ

ここにベンダの「アリアドネ」に焦点を当てたメロドラマ論が入っているのは、たぶん研究者な方々には周知のことなんですよね。
J.A.  ベンダ:メロドラマ

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モーツァルト:歌劇「ツァイーデ」

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  • アーティスト: アーノンクール(ニコラウス),ダムラウ(ディアナ),シャーデ(ミヒャエル),ベッシュ(フローリアン),シャシュニック(ルドルフ),シャリンガー(アントン),モレッティ(トビアス),モーツァルト,ウイーン・コンチェルトゥス・ムジクス
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この頃の「メロドラマ」には、グルック以後の改革オペラの管弦楽伴奏レチタティーヴォに似た、役者を追いつめ、追い立てるような身振りが好んで使われるようです。オーケストラが猛威を振るうことで、独白する役者の切実な状況(←のちの通俗的な意味でのメロドラマ的=お涙頂戴的であるような)が演出される、ということなのだろうと思います。

一方、ベートーヴェンのこの協奏曲楽章のピアノのスタイルは、ファンタジアだと思うのです。ファンタジアは、多感様式のエマヌエル・バッハが先鞭を付けて、モーツァルトやベートーヴェンの時代には、ステージ・パフォーマンスとしての即興演奏というよりも、独白調で内面と向き合い、心の移ろいを見つめる態度と理解されていたと思われます。ベートーヴェンは、ピアノで「メロドラマ」をやるんだったら、それにふさわしいのはファンタジアだと考えたのではないか。

私的な場で、クラヴィコードや18世紀の繊細なフォルテピアノを通じて胸の内を告げるジャンル(というか振る舞い)であったファンタジアを、舞台上でオーケストラをバックにしてやってしまう「独白の劇場化」が、この楽章の狙いだったのではないか。そういう言い方をすると、この楽章の独特のスタイルを歴史的文脈に沿って説明することが可能になるかもしれないと思いました。

(それに、この曲は1808年に合唱幻想曲、すなわち、ピアノ独奏と合唱とオーケストラによるファンタジア(!)と一緒に初演されているんですよね。

この1808年の演奏会で演奏された交響曲第5、6番とピアノ協奏曲第4番は、創作時期も、創作上のコンセプトの点でも、相互に密接な関連があるとされています。もし、協奏曲の緩徐楽章がメロドラマ風ファンタジアだとしたら、演奏会直前に書かれたとされる合唱幻想曲(=本来「私」がひとりで行うものであるファンタジアをピアノと合唱とオーケストラという集団でやろうとする実験)も、ファンタジアの可能性を拡張しようとする試みとして、ピアノ協奏曲第4番と一対であると解釈できるかもしれません。(第4協奏曲はピアノ独奏で開始するのが異例中の異例とされますが、それを言うなら合唱幻想曲だって、大人数の合唱・オケを待たせた状態で長いピアノ独奏ではじまります。この2つの曲は、ジャンルの垣根をかいくぐって、地下の根っこがつながっているように思われます。)

色々なアイデアが相互に絡まり合いながら一挙に実を結んで、この時期のベートーヴェンは、創作力が異常なくらい濃密に沸騰していたように思います。個人の創作力がこれほどすさまじく爆発するのは、音楽史上、1910年前後のシェーンベルクくらいしか類例が見当たらないかも、ですね。今更ですが。)