神田千里『宗教で読む戦国時代』と等身大の本願寺

宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ)

宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ)

與那覇潤さんのことは、ひとしきり集中して考えたので、もうほとんど興味を失っているのですが、

日本史学では石山戦争[……]を、戦国時代でもっとも重要な合戦と見なします。なぜかというと、たとえば川中島のような戦国大名どうしの合戦が単なる食糧の分捕りあいに過ぎないのに対して、この石山戦争だけは「日本がいかなる原理にもとづいて近世社会を再建していくか」をめぐる争いだったからです。(與那覇潤『「中国化」する日本』、81頁)

と、高らかに宣言して、與那覇さんは石山戦争を世俗と宗教の戦い、いわば、日本史の数少ない本格的「宗教戦争」とみなして萌えるわけですが、

神田先生は、戦乱のなかで形成された天道思想(宣教師たちからある面でキリスト教そっくりと評された世界観かつ徳目で、戦国武者を単なる「食糧の分捕り」と見下せそうにない)を素描して、一向一揆と石山戦争を資料に沿い冷静に記述します。

また神田先生は、蓮如のいう「仏法領」を仏教王国的な野望と解釈する説を否定しています。

神田先生は「歴史学の試験で「A(優)」がもらえる解答」ができない、プロ失格の歴史学者なのでしょうか?……と文藝春秋社の煽り本に当てこすりを書くのは、もう飽きたので、どうでもいいのですが、

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

政治と宗教に関する與那覇さんの発想は、ブッシュ父子の合衆国とイスラムの戦争がグローバリズムと表裏一体になった1900年代から2000年代前半に形成されて、そのバイアスが強いのかも知れませんね。

宗教団体が原理主義的に強行になるのはむしろ例外的で、通常運用では、俗世間と普通につきあうインターフェイスを装填しているみたいです。戦国時代の本願寺さんにしても……。

信長と石山合戦―中世の信仰と一揆 (歴史文化セレクション)

信長と石山合戦―中世の信仰と一揆 (歴史文化セレクション)

そしてむしろ、「島原の乱」のほうが、日本へキリストがイエズス会という特殊な団体によってもたらされた副作用を背負って、異文化接触の症状として深刻であったようです。

島原の乱 (中公新書)

島原の乱 (中公新書)

神田先生の本を読むと、キリシタン弾圧というのも実態は慎重に考えないといけないようで、遠藤周作が『沈黙』で描いたような宣教師への拷問手法は、ほぼ史実ではなさそうだ、ということもわかってきますね。

日本という島は、江戸時代になるまで、事実上、内戦状態だった時期がほとんどだったような地域ですから(地形が複雑でそう簡単に統一政体にまとめにくい土地柄なのでしょう)、むしろ、異質なコミュニティ同士のきめ細かな折衝には慣れていて、そう簡単に「原理主義」化しない風土だったと考えた方がいいのかもしれませんね。

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ちなみに、神田先生のご研究は、島田裕巳さんの新書で知りました。

浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか (幻冬舎新書)

浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか (幻冬舎新書)

こんなにさらりと日本仏教諸宗派のことをまとめられるものだと感心します。(決して、道元の禅問答はオモシロくて、twitterなことば遊びにお墨付きを与えてくれる、というところだけが読み所な本ではない(笑)。)

親鸞の生涯を脱神話化するのも、大事な啓蒙活動ですね。

ほんとうの親鸞 (講談社現代新書)

ほんとうの親鸞 (講談社現代新書)

(親鸞伝絵の六角夢想の逸話は、遊女の「聖性」という毀誉褒貶があって仕方のない議論とも関連するのでしょうか。)

日本売春史―遊行女婦からソープランドまで (新潮選書)

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