[年データが一部まちがっていたので訂正。]
ということで、終了しました。2時間40分の長丁場でしたが、「ホルンを愛した男・大栗裕」というところで筋を通したことで、色々なことがくっきりしたイメージに収まった演奏会だったような気がします。いかがでしたでしょうか?(←司会者癖が直っていない問いかけ)
(大栗裕がプロのホルン奏者だったのは24年間、と舞台上で申し上げましたが、1940年4月1941年6月に東京交響楽団(現東京フィル)に入団して、1964年3月に大阪フィル首席ホルン奏者を辞任しているので24年23年という計算です(舞台では1年多く言ってしまいました、すみません)。大栗裕は、その後1966年まで大阪フィルに籍がありましたが、1964年から1966年は顧問の肩書きだったことが、今回大阪フィルの小野寺昭爾さんの調査で判明しました。一方、1955年の作曲家デビューから1982年に亡くなるまで、作曲のキャリアは27年、1964年から作曲一本で過ごしたのは18年なので、(ほぼホルンのキャリアと作曲のキャリアは同等で)人生のなかでのホルン奏者としての比重はとても大きいように思います。
ホルン奏者 1941 〜 1964 = 23年 演奏のみ 1941〜1955 = 14年 演奏&作曲 1955〜1964 = 9年 作曲のみ 1964〜1982 = 18年 作曲 1955 〜 1982 = 27年
なお、今回のプログラムの主要作品一覧は、従来の作品表とはいくつか年代が違っているところがあるかと思いますが、可能なかぎり自筆譜などの記載に遡ってチェックしたので、年代は正確だと思います。こうして並べてみると、1955年から1981年まで27年間、大栗裕は毎年何か書いています。切れ目なくどんどん書ける人だったようです。)
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さて、そして別のお話ですが、昨夜のパンフレットでは、「EXPO'70讃歌」と「大証100年」の歌詞掲載ページに、4つ写真を入れております。キャプションがないのですが、お母様に抱かれた赤ちゃんの大栗裕と、お父様と一緒のおそらく小学校時代の写真。そしてその下は、大栗裕が入院する数日前、お孫さんと一緒の写真。現存する一番最後の写真として、ご遺族からご提供いただきました。
その横の演奏会風景は、「馬子唄による変装曲」の初演のスナップ写真です(1977年8月26日、大阪厚生年金会館中ホール)。
中央であぐらをかいて居座っている「馬子」が大栗裕本人。後ろ姿の指揮者は、今回の演奏会にもご出演の手塚幸紀さん。その横のソリストが、近藤望さんです。「蘇る大阪」、色々ありましたが、この光景が2012年4月20にザ・シンフォニーホールで蘇った、ということだったかな、と思っております。