遅ればせながら大阪城西の丸庭園の大阪フィル「星空コンサートのこと

6/2のことを今更にはなりますが、前日に父親が入院したり、あれこれ慌ただしかったのが少しだけ落ち着いたので、相変わらず溜まっている仕事の合間に改めて要点のみ。

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「星空コンサート」がはじまったのは2006年で、2008年の第3回から丸谷先生&淀工をはじめとする吹奏楽が「1812年」序曲のバンダで参加するようになって、今回で7回目。

3回目までは朝日放送の中継が入って、クレーン撮影なども大々的に行われていたんですね。

私は今回はじめて行きました。

で、行ってはじめて、事の重大さに気づいたような次第。

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野外コンサートといっても、お城の南の森ノ宮の大阪市音楽団や、豊中の服部緑地公園のセンチュリー響(ここで野外コンサートが可能なのは今はなき大阪府音楽団時代の設備のおかげ)は、常設の野外音楽堂(ステージと客席がしつらえてある)でやるわけですが、大阪フィルの「星空」は、本当の原っぱにこの日のために巨大なステージを組んで、大掛かりなPAブースや照明タワーを設置するんですね。

そして、「寝そべって気楽に聴いて下さい」というのはたとえ話でも何でもなくて、お客さんは原っぱの思い思いの場所にビニールシートで場所取りをして、そこへ座って聴く形。それが毎回、広い原っぱがびっしり埋まるお客さんを集めていたようです。

先述のように3回目まではテレビ中継が入っていましたが、4回目からはそういうメディアとのタイアップがあるわけでもなく、それでも毎回ほぼ1万人前後(今回は1万人を越えたらしい)のお客さんが集まっていたのですから、やっぱりこれは普通ではないかもしれない。

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「1万人を動員」という風に数字にしてしまうと、ラ・フォル・ジュルネはトータルでもっとたくさんの人が集まっている等々ということになりますが、もちろん、あの企画はその全員がひとつの場所に同時に集まるわけではない。

逆に、一度にひとつの場所に大量の人間を動員するのは限界があり、大変すぎるのは否定できず、そのジレンマをスマートに突破する新しいスタイルを提案したのが、ミニコンサートを同時に大量投下するラ・フォル・ジュルネだったのだとは思います。広い空間に大量動員する野外コンサートは今となっては効率の悪い「20世紀の遺物」であって、ミニコンサートの集合体こそが新世紀のフェスティバルだ、という言い方はあり得るかも知れないと思います。

でも、だからこそ、「20世紀タイプ」の野外コンサートはかえって新鮮で、ほとんど、ありえない奇観、という感じがしました。

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大阪城周辺では「1万人の第九」というのもありますが、あちらは屋根付きの体育館のような巨大ホールで、すり鉢の底のステージを客席が取り囲む形。「星空コンサート」のほうは、ステージの前の広々とした原っぱにどこまでもお客さんが続いていますから、より一層「古式ゆかしい」スタイルですね。

しかも、一晩のイベントのために巨大な設備を立てるということで、ほとんど野戦の軍隊のようなことになっております。(「1812年」は最後に大砲をドカドカ鳴らしますし(笑)。)

あと、会場の西の丸庭園は掘で囲まれたお城の中なので、人が出入りする動線は狭く入りくんでいて、そのうえ庭園の出入り口は一箇所に絞られているので、終演後は簡単に外へでることができなかったりします。そのあたり、「お城」は近世の要塞だったのだ、ということを体感できるようにもなっておりました。

スマートに大量の人間をさばく今時の「管理」が不可能な、随分とアナクロな野外コンサートなんですね。

そのあたりはまったく予想していなくて、行ってみますと、評論家(普通はこの種のイベントには行かないけれど)だろうがプレスだろうが、もっと大切なご招待のお客様であろうが、1万人のなかの一人としてシートにあぐらで聴くという、ほとんど「広場の孤独」(笑)状態で放置される感じが、正しい野外コンサートな感じがしました。

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で、そういうシチュエーションで、原っぱの1万人を文字通り「背負って」演奏するのが大植英次は似合う。そういう状況で、かなりちゃんとした演奏だったことに感心しました。

考えてみると、1万人を背負ってオーケストラを指揮した経験のある人は、今の日本の現役でどれくらいいるのだろう、海外などでそういうコンサートに出演したことのある人はいるだろうけれど、自分の発案でそういうコンサートを新しく作ってしまった人となると、他に誰がいるのだろうか、と思ってしまいました。

(「1万人の第九」は、はるかに長く続いていますが、これは、今のスタッフではなく山本直純さんが作ったものですし……。)

こういう野外イベントを切り盛りする才覚は、たぶん、コンサートホールでクラシック演奏会をやるのとはちょっと違っていて、20世紀の半ば頃までの野球場などで野外コンサートが普通にあった頃なら、指揮者もオーケストラも、そういうのも仕事のうちだと普通にやっていたのだと思うのですが、既に1970年の段階でNHK交響楽団様は万博開会式での野外演奏に相当厳しい条件を出していらっしゃったようですし、クラシック音楽はどんどん「インドア」志向を強めているようです。そんな21世紀になってから、新たにこういうことをはじめてしまったのは、大植さんの仕事のなかでも特別な意味のあることだったのではないか、という気がしました。

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平松前市長は毎回来ていたそうですが、橋下市長が政治家として想定しているのは、たぶんこういう「広場の公共性」とは違うんでしょうね。

広場で歓呼の声に迎えられてしまったら、あまりにも20世紀の指導者に似すぎてしまって身動きが取れなくなる、もうちょっと、あれこれを細分化して個別に撃破したい人なのでしょう。小さいけれども大きく話題が広がるトピックの積み重ねでやっていく橋下さんは、いわば「ラ・フォル・ジュルネ」型の政治家(←言い過ぎ?)。

逆に、大植さんは、ああ見えて、リアルに大きなことをやってしまうというか、思いつきをもとにドワッと周りが動いて話が大きくなってしまう人なんですね。その感じは「星空コンサート」へ実際に行ってみて、やっと腑に落ちた気がしました。本当に今更ですが。