大阪フィルの女子力

時間がないので一気に要点のみ書きますが、大阪フィル2012年度の最大のトピックは、「大植英次の次がどうなるか」でもなければ、もちろん、「ハシズムとの闘い」でもなく、遂に大フィルが女子力アップに乗り出した、ということなのではないか?

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象徴的なのがプログラム。

2003年、大植さんの音楽監督就任とザ・シンフォニーホールへの定期会場移転(←これが大植時代のスタートと同じタイミングだったことは意外に指摘されない、さらに言えば、記念すべきシンフォニー最初の定期はデリク・イノウエの指揮で、明日いずみホールでもやられるらしいプーランクのオルガン協奏曲をやってます、オルガンのあるホールに移った記念、だったんですね、閑話休題)このときに、大阪フィル自主公演のプログラムは黒を基調のデザインに統一されました。シックな高級車のイメージでしょうか。それが今期からガラリと変わったんですよね。先の大栗裕コンサートのプログラムも同じデザイナーさんの手になるものなのだそうです。

誰かが「ラブホのパンフみたいだ」と言っているのを耳にしましたが(そうなんですか?)、そんな声もありつつ、定演初日のロビーでは相変わらず男性トイレに行列ができるお客様構成でありながら、だからこそと言うべきなのか「女子」をとりにいく新生・大フィルの成否が気になります。

川向こうの芸術文化センターは芸術監督が女性ファンをがっちり押さえていますし、京響も少し前から女性スタッフの心遣いが端々に感じられるスタイルで運営されていますから、これが時代の流れなんでしょうねえ。

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我々は男女雇用機会均等法の世代で、テレビの世界にはそれに伴い「女子アナ」という新ジャンルが出現したわけですが、それから四半世紀。

伝え聞くところでは、死んだ吉田秀和の朝日の担当は同姓の女性記者さんだったようですし、関西のクラシック業界も、朝比奈時代は評論家、新聞記者ともにオトコ(かなり年齢層高し)ばっかりだったのに、昨年から、遂に主要新聞社の音楽担当はすべて女性になりました。

でも、考えてみたら、日本のクラシックの音楽家さんのほうは、もともと「女子力」が高そうですよね。ピアノやヴァイオリンを習い始めた出発点から、音楽大学でもどこでも、通常、そこは、ほとんどが女性で男子は1割いるかいないか、というような環境です。このような女性優位の男女比率は、音楽のなかでも、ジャズやロックでは考えられないクラシック音楽(や邦楽)の特徴かもしれません。

その意味では、「女子力」が言われる時代というのは、世間がようやく、こっちの世界の当たり前に追いついたということなのかもしれません。

(そして大阪市の市長さんの「女子力」は不明ですが、アンチ橋下の内田樹センセイは「女子大教授キャラ」が品揃えのひとつになっている。)

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で、さらに言いますと、音楽評論家や音楽学者のなかにも、そういう音楽業界の「女子力」感度の高い人とそうでない人がいるような気がします。

岡田暁生と片山杜秀は、男子目線ではどっちも「右寄りの論客」だけれども、岡田暁生=女子力ほぼ皆無、に対して、片山杜秀は、(ファン層が男子中心であるにもかかわらず)実はその気になれば案外「女子力」があるように見えなくもない。(たとえば、神戸女学院主催の大澤壽人関係記者会見の場に出ても、片山さんは全然場違いな感じがしなかった。)そしてやはりあの世代で「女子力」と言えば、伊東信宏が断トツであろう、とか。

いつもツルんでいる増田聡と吉田寛だったら、こっちがこうで、あっちはああで、そして輪島裕介という人はイマイチ未知数だ、とか。

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わたくしは、女子大非常勤歴が既に18年目に入っておりますが、どういう勘違いにもとづいてなのか、ときどき、旧来型の男社会における若い女性のオヤジに対する接待のモードで対処されてしまったりすることがあるので、まだまだ、「女子力」対応が十分ではないのかもしれません。そういう「媚びた接待」は、ホントに鬱陶しいから止めて欲しいのですけれど。

ともあれ、そんなこんなで、大植英次のマーラーの9番。本日が2日目ですね。

(明日14日は、関西のあっちこっちで興味深い演奏会が重なっていますが、別の仕事を入れてしまったので、何も聴きに行くことができません(涙)。)