木村大治『括弧の意味論』

http://booklog.kinokuniya.co.jp/abe/archives/2012/07/post_113.html

紀伊國屋書店の書評サイトで阿部公彦さんが絶賛していて、これは間違いないだろうと思って購入。

括弧の意味論

括弧の意味論

《作品名》問題が気になって仕方のない人間にとっては必読書。

日本音楽学会機関誌編集委員会の先生方にも、是非とも早速読んでいただきたいです。

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まだ半分しか読んでいませんが、

とりあえず、著者が、文章の「括弧率」の計算スクリプトを公開してくださっているので、このページだけでも色々遊べます。

http://jambo.africa.kyoto-u.ac.jp/cgi-bin/kakko/kakko.cgi

手元にあるテキストファイルであれこれ試してみると、大栗裕について書いた論文類は、おおむね括弧率が3%台、大学院生時代の論文はそこまで高くない2%台。作品分析の論文と違って、大栗裕の話は、資料の引用や作品名など、括弧の必要な箇所が多くなってしまうようです。

新聞の批評は括弧率が1%台でした。800字とかのなかに情報を詰めようとすると、「」で2文字使ってしまうのは勿体ないので、極力、括弧を減らそうと意識せざるを得ないですし、短い文章は、括弧のたぐいが少ない方が、日本語として、見た目が美しくなるんですよね。

このはてなダイアリー内の文章は、()を多用して、半分面白がりながら、挿入や追記・補足を何段階にも書き足して、()をネストすることも多いと自覚しているのですが、それでも、括弧率は2%から3%のあいだくらい。

演奏会の曲目解説も、普通の演奏会だったら、括弧率は2%台に収まっているようです。

長くて字数に余裕のある文章ほど、データを入れようとして括弧が増えてしまう傾向があるようなので、読みやすい文章になるように、これからは、括弧のダイエットに励みたいと思います。

(そしてこのページの本文の括弧率は1.15%。意識して括弧を節約して書いたら、これくらいまでダイエットできるんですね。頑張ろう。)

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思うに、コンピュータのテキストファイルというのは、いかにも、括弧について考えたくなる環境だと思うんですね。

現行の文字コードでは、通常、括弧であろうと句読点であろうと、あるいは改行や空白であろうと、すべて符号化されて、1文字分のデータ量が割り当てられています。現行のテキストファイルでは、文字と約物が情報として等価に処理されるわけで、原稿用紙や活字に縁のない一般人が手書き文字からテキストファイル中心の環境へ移行したことは、一挙に、括弧の相対的な地位を高めたと言えるのではないかという気がします。

テキストファイルは、コピペであとからいくらでも編集できますから、一度書いた文章に、あとから括弧で何かを挿入するのも簡単です。

『括弧の意味論』という本を読んで奇妙な嬉しさがあるのは、そういう環境で文字を扱っている者の日常を、ご自身もそこへ巻き込まれながら診断してくれている絶妙の間合いのせいじゃないかと思いました。

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あと、バラエティ番組のスーパー・コメントを最初に演出として自覚的に使ったのは誰か、という話があって、読みながら、本当にそんなに明快にこの番組が最初だ、と断定して大丈夫なのか、とちょっと心配にはなりましたが、

もし本書の断定が正しいのだとしたら、先日の大植英次番組で、滑舌があまりよろしくない大植さんのコメントに細かく字幕が入っていた、あのきめ細やかな編集は、スーパー・コメントを最初に使った局の仕事、いわば、本家本元のお家芸に接していたことになるのでしょうか。

(一方、生前のナンシー関は、フジテレビの「めちゃイケ」が、スーパー・コメント乱造の風潮のなかでは例外的に字幕スーパーの使い方のセンスが良いと誉めていましたが、あの番組の放送作家さんは、かつて某デジタルガジェット系人気サイトをやっていた人だったはずなんですよね。変な縁で一時時期やりとりがあって、ネット上に公開する作文のやり方について、こちらが一方的に、色々参考にさせていただいたものでした。

著者を例外的に「口語体」(関西弁のようなそうではないような啖呵の口調は、愛媛生まれで京都在住な著者の「素」なのでしょうか?)で憤らせるテレビ・バラエティのあだ花というべきスーパー・コメント現象の、一方の極ともう一方の極に、知らない間に触れていてしまったんだなあ、と思うと、少し嬉しいような気がしてしまいます。)

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本を読んでいると細部に萌えてしまうわたくしとしては、本書の圧巻は、淀川長治の日曜洋画劇場などでのコメントを正確に文字起こしする著者の異様な情熱、そして、「淀川さんは、この単語をこのように発音している」と注釈まで付けてしまうこだわりであろうと思うのですが、これは是非とも、実際にそれぞれでお読みいただきたいです。

なんということのない単語を正確に4回繰り返して畳みかける。しかも、そのようなフレーズが短いスピーチのなかで正確に2回出てくる。おお、これが淀川節だ、と、これだこれだこれだこれだ、と、思わず、淀川口調で音読してしまいました。